月音(つきのね)∞風音(カヂヌウトゥ)

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20230416 杵振り祭り@安弘見神社

とうとう体感することができました。
蛭川杵振り祭り(杵振り花馬祭り)です。
この出で立ちに、この配色。
とても日本とは思えない。
それが岐阜の巨石群が集中する蛭川に伝わる伝統文化。
どこか沖縄の祭りのような、太鼓と笛の囃子方
祭神のスサノオに相応しい祭りだと感じました。

2023 杵振り祭り
ソーイ♪ソーイ♪

岐阜の、わたしが勝手に恵那蛭川と呼んでる地域。
現在は中津川市の、かつての恵那郡蛭川村です。
2019年までずっと金山巨石群に通っていたわたしが、2020年の春分を前にこの地で新たなスポット光が入る巨石群を発見して通い出してから、現地の方と歴史や文化について学ぶご縁をつづけてきました。
その間、実にコロナ騒動と丸被りで、この祭りを知ってからずっとこの日が来ることを待ち望んでました。
そうやって出会った地元の古老にようやくこの祭りを案内してもらうはずでしたが、当日お会いする約束で連絡すると、この3年で足が悪くなってしまい、祭りには行けないから自宅まで来て欲しいと。
祭り当日の地元の歴々が集う宴会場に招かれ、なんと接待まで受け、普段滅多にお会いできないような古老たちからの聞き取りができ、意外な展開で貴重な時間を過ごすことになりました。
みなさんおおやけに飲めるとなり、祭りは死ぬほど見てるから見なくてもいいと、4年ぶりの祭りを別の方向で楽しんでらっしゃる。
引き止める面々にわたしはお付き合いしきれず、なんとか開放してもらって祭り会場へ向かった。


祭り前から、4年ぶりの町のにぎわいはすごかった。
祭りが無い3年前にこの安弘見神社へ来て、案内看板の写真見てびっくらこき、南朝云々の起源が書かれてるのを見て納得し、うわぁーとなりましたが。
この辺りの各地で南朝由来の史跡巡りをし、役場の資料館と図書館で調べ、古老たちから聞き取りをし、たどり着いたのは、この祭りは南朝とは関係無いという話です。
だから、定説や知識といったそういう思い込みで祭りを見ない。
地元の人でさえわからないというフラットな気持ちで、ずぶの素人として祭りを楽しむことに専念しました。

いよいよ、12時半に蛭川の役場前をスタート。
あの出で立ちの杵振り踊りが、様々な役どころのグループごとに、古い町並みの街道を安弘見神社めがけて練り歩きます。
先導の謎の役人風な神主なのか禰宜なのか。
花祭にいそうな赤鬼が柄杓で頭をこついてまわり、オタフクがこれも花祭に似た鈴を振り振り、道中を厄祓い。
つづいて、カラフルな衣裳を纏った杵振り踊りの大集団がやってくる。
総勢何人いるかと思うほどたくさんの行列で圧巻なんだけど、その踊りがまたかわいい。
杵をクルクル回しながら、腕を後ろに組んでユラユラしたり。
後方につづく囃子方の音に合わせての掛け声がリズミカルにくり返され、土地全体が浄化されていく感じと、わたし自身が祭りのエネルギーにどっぷり包まれていく高揚感。
つづく獅子頭に水平の巨大マントが靡いて、その暴れっぷりが尋常じゃない。
先導する二人の役どころが暴れ獅子を宥めたり行かせまいとする所作。
途中、この地に移住した友人の家の前を通って。
なんじゃもんじゃのヒトツバタゴの木を通って。
普段というか、いつも来たときはひっそりとした田舎町なんだけど。
この参道の街道が、いつの時代の何処のクニなのかわからない、不思議な空間と化しながら、祭り囃子が木霊して日本の古くからある美しい祭りの光景が心を震わせます。
途中の橋で休憩したかと思うと、反対側から迫り来る神輿が水飛沫をぶちまけながら、道中の厄祓い。
何から何まですごいです。
再スタートして、古い町並みを進むと安弘見神社の鳥居へと突入。
ここから一旦、真ん中辺りの広場まで上り、そこからは狭い階段が天上にある本殿までの急峻な階段。
ここでクライマックスを迎えることとなるのだが、その盛り上がり方がすごい。
時間をかけた丁寧かつ、壮絶な勢いのくり返しで、最後の花馬まで引っ張りに引っ張って、天まで突き抜けるかのように。


祭りを終えても、総じていえることは、わからないの一言。
なぜこの色彩なのか。
杵振りとは何か。
その辺りは、同じようにカラフルな杵振り踊りをしているという切井の佐長田神社にも行ってみないと。
ただ、細かいことはわからないけど、この祭りの持つエネルギーは、爆発するような命の再生とか新しい命の誕生のような、地球生命体のビッグバン。
祭りの定説でいうところの五穀豊穣と同じ意味ですが。
頭に被る市松模様のカラフルな帽子は、餅を搗く臼とされてる。
杵は男性エネルギー、臼は女性エネルギー。
それが杵振り踊りで交わりながら、参道の階段を駆け上ったり下ったりをくり返す。
そして暴れ獅子が眠るのは、受精して着床した瞬間であり、妊娠した胎内のよう。
クライマックスで花馬が駆け上がる凄まじさは出産のように、この祭りの全エネルギーを背負って天まで昇る道が開けたかのように。
その子宝をみんなにお裾分けするかのように、最後に広場で餅撒きをする。
これぞまさに、五穀豊穣、子孫繁栄ですね。


本当のところはよくわからないけど、魂や心の奥にドスンと響く、これぞ祭り、といった迫力にまたしてもやられたのでした。
この前の、山県のヤマトタケルと大碓伝説の柿野祭りでも感じた、伝統や伝説の向こう側にある世界が、時を超え、今でもこうして血の中に刻まれ、未来へ橋渡ししていく共同体という大きな生命、そんな命そのものを垣間見た感覚。
わたしはどこから来て何処へ行くのか。
これからますます楽しみです!
 
 
 
 
 
 
 
 

20230409 大碓伝説と白鳥神楽と柿野祭り

先週末の祭り日和は濃厚すぎて、得るものも多く、記録した写真の整理も追いつかず、放置しているというよりまとまりきれず、ただただ大切にしてました。
時間が経てば忘れてしまうこともあるので、とりあえず自分のための備忘録として投稿しておきます。
そして、謎めいた伝承の部分は時間をかけて追跡をし、まとめ作業が進んでからのご報告とさせていただきます。

美濃の山中に秘められた、記紀とは違う兄弟の物語。
弟の小碓ヤマトタケル)と兄の大碓の伝説。
そんな大きなテーマの伝承地で行われた二つの祭り。
それが、池田町の白鳥神社の白鳥神楽と、山県市の垣野神社の柿野祭りです。
岐阜と言っても知らないことばかりで、ここに至ったのはつい最近。
これもコロナのお陰です。

武宣都白鳥(むぎつしろとり)のオオウス=ヤマトタケル伝説
https://fuhgetsu.hatenablog.com/entry/2021/04/13/211636

祭りが中止となった2020年。
ここにたどり着いたのが2021年。
このときすでに祭りは中止のさなかでしたが、いつ再開されるか待ち望みつつ、毎回祭りが近づくと事前に問い合わせてました。
昨年も中止とききながら氏子のみの祭りに顔を出したりして、少しずつ少しずつ近づいてるところでした。

まずは白鳥神楽白鳥神社へ。
本来なら、神事の後に神楽をやったり、子供会の子供神輿もあったが、神楽面の獅子頭を飾るのみで省略。
部外者のわたしも玉串を奉納させていただけた。
終わってから、会長さんにお話を伺う。
さみしいが、このご時世だから秋も中止となる予定だと。
いろいろ調べて、連理の榊、亀甲竹、記紀とは違う伝承などをまとめた本を3冊作ったということで拝見させてもらった。


続いて、すぐ隣の集落の横井にある白鳥神社へも寄ってみる。
一人だけ、氏子総代さんがいらっしゃったのでお話を伺う。
白鳥地区と横井地区では赤白が反転の特徴的な旗があり、それをホラフと呼ぶと教えてくれた。
昨日が試楽で神事をして子供神輿を飾ったが、雨で片付けた。
今日が本楽で、二日間の神事のみ。
毎年4月の第2土日ということで、他にも年間行事を教えてもらったり。
伝承では、ここをヤマトタケルが通るとき背丈を超える木々で道に迷い、空を見上げたら白鳥が飛んでいて、池田山の奥にある伊吹山まで道案内したという。
それから、中国から来た白楽(はくらく)天皇を祀る摂社がある。


さて、ここから大移動で川と山を越え、柿野祭り垣野神社清瀬神社へ向かう。
昨年は神事と巫女舞のみで、神楽もからくり山車も無かったが、今年は開催が決定したことをきき、まだ一度も見たことが無いので楽しみにしていました。
4年ぶりの開催で、祭り客のメイン行事となる餅撒きや子供神輿が無いため規模は小さくなるものの、両神社から神幸(神様を乗せた神輿で渡御)をして御旅所にて合流、巫女舞とからくり山車と獅子神楽を奉納。


この、西の垣野神社の小碓と、東の清瀬神社の大碓を乗せた神輿が、その真ん中にある御旅所で出会い、祭りの世話人宮司同士がお互い挨拶する瞬間がとても感動的だった。
この祭祀形態はとても珍しい。
普通は競って、勝ち負けのケンカ神輿となる。
しかも御旅所で、二つ地域から二つのご神体が仲良く並ぶ祭りなど見たことがない。
それはここに残る二皇子の伝承を忠実に再現して後世に残そうという祭りだから。
その部分で言えば、尾張の籠守勝手神社のオケ王とヲケ王の二皇子の伝承を忠実に再現した御駕籠祭とやり方がそっくりだ。

御旅所にて神事、巫女舞が終わると、後方の山車がカミさまに向かってからくり奉納。
つづいて、獅子頭で舞う神楽が奉納された。
その後、花が撒かれ、持ち帰るとよいとされる。
祭りが終わると、名残惜しいかのように3回回ってから、神輿はそれぞれの神社へ還っていった。


とにかく、本当に良い祭りだった。
みんなの顔から震えるような感動が伝わってきて、うれしさの溢れる美しい笑顔に包まれていた。
実は昨年、来年も祭りの再開は困難で、祭りの存続は難しいときいていたから。
それから一年の間にかなりの困難をくぐり抜けて、再開への道を切り拓いてくれたことに感謝します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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David Bowie MOONAGE DAYDREAM

 

日曜も雨。
雨だとミツバチも静かでスポット光も見れない。
そこで、土曜から公開のデビッドボウイの映画を観るチャンスが到来。
それを人生初のIMAXで観ようと、109シネマズまで行ってきました。

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ポスターや予告編の感じから、今回のドキュメンタリー映画はよい作品に違いない。
監督も知らないし、内容も知らない、いつもの直感なだけで。
その期待に応えるべく、やっぱりすごかった。
音楽モノで、しかも映像センスとか編集も凝ってて、まさにIMAXで観る価値ありの映画でした。
内容も、単なるドキュメンタリー映像を厳選してつないだだけじゃなく、才能溢れるボウイのアーティスト感覚を、監督なりのセンスで違和感なく表現。
未公開ライブ映像もすごくよかった。
知らないけどとってもいい意外な曲を聴くことができたりと、全体的な選曲の構成が素晴らしかった。
ボウイ自身がナレーションしてるから、ボウイ自身が作った自叙伝のような。
ドキュメンタリーでありながらひとつの作品として。

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今まで観たボウイのドキュメンタリーとしても最高傑作だし、時とか時代をテーマにしつつも自由でいるカオスの映像表現や、タイトルでもあるムーンエイジの白昼夢の感覚で最初から最後までよくぞやってくれたという、2時間超えでも持続する見応えありの力作でした。

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日光修験と星宮神社のイワサクとネサク

これまで星信仰といえば、各地にある妙見信仰で北極星や北斗七星を祀ったり、尾張庄内川沿いにある星神社などで天津甕星や天香香背男を祀ることはだいぶ調べ歩いた時期があります。
しかし、尾張西部にある赤星明神=星の宮になぜかニギハヤヒが祀られていることが長らく謎でしたが、その関係で根裂神が単独で祀られていることを最近になって知りました。
そして美濃の八百津にある星宮神社に天香香背男が祀られてましたが、明治以前は虚空蔵菩薩で、それは日光修験から来ているらしいことがわかってきた。

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日本全国にある星宮神社は、ほとんどが日光修験の栃木県に集中しており、その数は計り知れないほど。
その星宮神社には天香香背男ではなく、磐裂神と根裂神がペアで祀られているパターンが数多く見られます。
片方だけの場合もあったり、経津主神や建御雷神が並祭されたり、やはりこれがまたよくわからない。

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こういうカミさま関係の調べものは、漢字や名前がごちゃごちゃしている上、神話そのものが複数存在し、調べれば調べるほど支離滅裂となって混乱する。

そこに整合性を求めず、すべてがヒントとなっていることを前提に、少しずつでも前に進めてみよう。

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まずは、なぜイワサクとネサクが星信仰の神となったのか。

石拆神と根拆神(古事記
磐裂神と根裂神(日本書紀

記紀神話に出てくるこの二神が、まずはどんな神であるのか見てみよう。

カグツチを産んだイザナミのホトが焼かれ死んでしまったことに怒り狂ったイザナギが十拳剣=天之尾羽張カグツチの首を斬り、殺された死体からは神々が生まれ、剣から滴り落ちる血からも神々が生まれました。

まず、剣の先についた血から石拆(いわさく)神と根拆(ねさく)神と石筒之男(いわつつお)神の三柱が生まれる。

次に、剣の鍔(つば)についた血から甕速日(みかはやひ)神と樋速日(ひはやひ)神と建御雷(たけみかづち)神=建布都(たけふつ)神の三柱が生まれる。

古事記では、石拆神と根拆神と石筒之男神甕速日神樋速日神建御雷之男神の六柱が生まれる。
日本書紀第五段では、磐裂神と根裂神と磐筒男神磐筒女神経津主神の五柱が生まれる。
また、日本書紀第九段では、天之尾羽張神の子が甕速日神で、その子が樋速日神で、またその子が建御雷神であると、並列ではなく親子四代で記されている。

そして最後に、剣の柄についた血から闇淤加美(くらおかみ)神と闇御津羽(くらみつは)神の二柱が生まれる。

こうして、記紀では十拳剣から神々が生まれたことになっており、農耕や製鉄に関わる神話であるなど様々な解釈がなされてきた。
通説では、いったい何処に星神話が隠されているのか路頭に迷ってしまう。
続いて、甕速日神樋速日神を祭神とする神社を見てみよう。

佐肆布都(さつふと)神社(長崎県壱岐市芦辺町箱崎大左右触)
※建御雷神と甕速日神樋速日神経津主神ほか

斐伊神社(島根県雲南市木次町里方)
※伊都之尾羽張命のほか相殿には斐伊波夜比古=樋速夜比古=樋速日神甕速日神カグツチなどが祀られている

新田神社(鹿児島県薩摩川内市宮内町)
※ 境外末社の九樓(くろう)神社に甕速日神が守公(しゅこう)神社に饒速日神が祀られている

蜂前(はちさき)神社(静岡県浜松市北区細江町中川)
樋速日神甕速日神と建御雷神の三柱

八幡神社/一条八幡宮山形県酒田市市条字水上)
建御名方神甕速日神経津主神と建御雷神と樋速日神を合祀

これで何がわかるかというと、あまりピンとこないかもしれませんが、甕速日神饒速日神を並列に祀る新田神社があります。

甕速日と饒速日のハヤヒ。
この速日とは何か。
甕(ミカ)がカメであるとか、饒(ニギ)は賑々しいとか、漢字の解釈に惑わされてはいけません。
単なる当て字です。
ミカという言葉、ニギという言葉に意味があり、ハヤヒという言葉に意味があります。
ミカは、天津甕星や建御雷神=武甕槌神のミカとも共通します。
そして、ハヤヒは流星の可能性があります。
ニギハヤヒを太陽神とするより、隕石に関する星信仰の神であることも頭の片隅に置いておかないといけません。
その隕鉄で古代の剣がつくられたことでしょう。
石上神宮主祭神布都御魂(ふつみたま)という剣に宿る神です。
日本書紀のフツミタマ剣は、経津主神と建御雷神が葦原中国の征服に用いた剣で、初代神武天皇が熊野山中で窮地を脱する時に使われました。
そのフツミタマ剣を神宝とする鹿島神宮には建御雷神が、香取神宮には経津主神が祀られている。
それぞれにある要石は本当に地震を抑えているのか、それとも何か別の目的があるのではないか。

かなり長文となったわりには、答えなど見つからず終わりそうですが、ここには書ききれないけど何か光のようなものが見えはじめてます。
理路整然と言葉でまとめる前に、まだまだあちこちに星神がたくさんおられますので、近隣の気になる土地に出かけては、このまま星巡りを続けようと思ってます。

 

 

 

 

 

※追記(メモ)

 

カタカムナ ウタヒ【第28首】

イキノヒトツネ
イククヒノツチ
カグナツチ
イハサクネサク
イハツツヌヲ

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カタカムナ ウタヒ【第40首】

カムナガラ
トヨウケヒメ
イカツチヒビキ
マノネカタカムナ
イハサクネサク
イハツツヲ
マリツラネ
ミカヒハヤヒヌ
ケイカツ
タケフツノムスビ

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千音寺の赤星神社が赤星明神かどうかよりもっと大切なことがある

赤星神社(愛知県名古屋市中川区富田町千音寺赤星裏)
https://goo.gl/maps/drQWC9ZFhYyuwsnv6

ここは千音寺の赤星神社。
やっとお詣りすることができてよかった。

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尾張の星信仰は庄内川沿いに散在してて、祭神は天津甕星か天香香背男がほとんど。
しかし、木曽川に近い尾張の西方では星の宮に饒速日命が祀られている。

星大明社
https://fuhgetsu.hatenablog.com/entry/2023/02/23/124925

星大明神社
https://fuhgetsu.hatenablog.com/entry/2023/02/23/123954

ここへは10年前に訪れ、何かひっかかるもののなかなかその先には進めないでいた。
星大明社では、通称が星の宮であり古くは赤星明神であるとされていた。
地図を見ると、今回訪れた赤星神社はやや離れた場所ではあるが、ミカボシやカガセオの星神社とは違う、ニギハヤヒである赤星明神の信仰圏がかつてあったのではないかと勘ぐった。

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赤星とは何か?
赤星はアンタレスの和名。
そして、先代旧事本紀ホツマツタヱにもその名が見える天津赤星という神の存在。
ニギハヤヒに従って天降りした五部人の一人で、九州にある赤星神社がこの神を祀っている。
はたして、千音寺の赤星神社の祭神は?

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現地に行けば何かわかるかと思ったが、神社名の表記以外は由緒などの木札も社務所も無く、何もわからずに終わった。
そのような有益な収穫があるかないかは行ってみないとわからない。
それが何もなかったとしても、その土地から来る何某かの情報を受け取ることができるので、とにかく現地へ赴くことを心がけてます。
帰ってから調べてみると、祭神は根裂尊(ねくさのみこと)という珍しいカミさまだった。
星神ではないが、イザナギカグツチを斬ったときの血が岩について生まれたのがイワサクとネサクで、星にまつわる神社の祭神となっていることもあるのだ。
平安時代末の尾張国内神明帳に記される赤星明神は、江戸時代の調査でも千音寺の赤星神社であるとは言い切れず、諸説入り乱れたまま。
しかし、神社庁は千音寺の赤星神社を尾張国内神明帳の赤星明神だと断定していますが、一つの見解に過ぎないから不明のままでいい。
まだまだ検証を積み重ねる必要があります。
こちらの名古屋神社ガイドではその辺りのことを丁寧に検証されていますが、それでもまだまだもっと検証を重ねないとわからないと締め括ってます。
https://jinja.nagoya/top/nakagawaku/akabosi-jinja

尾張国内神明帳の赤星明神は、星大明社や星大明神社の可能性があることを示唆しているけど。
河川流域は集落ごと消滅して移転し、後の時代に再興したりするから、いずれかの時代に三ヶ所とも赤星明神だったかもしれない。
どっちかが元宮で、後世に分霊を祀ったのが赤星神社なのかもしれない。
なぜネサクなのかも気になるが、なぜニギハヤヒなのかはもっと謎だ。
その理由のひとつとなりそうなのが、天津赤星の存在。
その子孫がこの地に居たのではないかと踏んでいる。
素直に祖神としての天津赤星を祀ればいいものを、名乗れなかった理由があったのかもしれない。
それで、時を同じくして天降ったニギハヤヒを祭神とした。
また、赤星という隕石が落下したことによる星信仰から来てる可能性も捨てがたい。
星崎の星宮社にも隕石が落ちてるけど、河内の隕石がニギハヤヒの天降りした伝説となったように、物部氏がいたこの土地で同じような星信仰が生まれたか。

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そもそも、一宮の酒見神社に実在のニギハヤヒが逆身となって棲んでいたのだから、伊勢の太陽神アマテラスに対して星神のニギハヤヒという信仰があってもおかしくないのかもしれない。
しかしまだまだ展開がありそうなので、この問いはわからないまま、当分のあいだ保留にしておきます。

 

 

 

 

 

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優美で華麗な組子の宇宙を生みだす指物師がこんな近所に居たなんて!

美濃路萩原宿の指物師(さしものし)の、人間国宝クラスのモノ作り現場。
この地元の大地から生み出している秘密基地のような素敵な工房にお邪魔した。
それも偶然に。

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たまたま萩原商店街で店の前を通りがかり、建具屋さんのガラス窓から麻の葉の組子が見えたので覗いてたら、興味持ったのが珍しかったらしく声をかけてもらい、中へ、中へと案内され。
職人さんだからあまり話すこともなく、ちょっとだけ中を見せていただいたらさっさと帰るつもりがあれこれと快く教えていただき、頭が追いつかないほど感銘の連続で。

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組子細工の幾何学模様が迷路のようでもあり、完璧な宇宙のような秩序があって美しい。

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自然の木から着想を得て形作られる、建具や茶道具などなど、大きいモノから小さいモノまで。
かなり高度な技術は当然のこと、その道具の種類の多いことに驚いた。

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道具を使いこなすレベルを超えると、必要な道具を自作したり特注で作ってもらい、今ではそうした職人も減り、大切に大切にされ、その収納に至るまで驚くほどきめ細やかで。
その道具類を研いだり治したり手入れする時間もさることながら、茶の世界など天井知らずの贅沢な木材を、人の手によりさらに深く活かす道があることを思い知らされたのだった。

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ご高齢な歳を感じさせない、ワクワクする作業場での会話は終始笑顔。
自然から得る木材と、人間の作った道具で新たなモノを生み出すエネルギー。

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面倒くさいとか、お金のこととか、時間のこととか、労力のかかることなど一切気にせず、ただただいいモノを作ることだけ考える毎日。

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今の世の中とはまったく真逆なのに、芯がある人は世の中に左右されないからびくともせず元気でいられる。
こういう人が必要なんだよな。
それが近所で、こうして目の前に。
さっき知り合ったばかりなのに、昔っから知ってる近所のおっちゃんみたいに。
人間のやな部分にもたくさん出会うけど、たまに飛び抜けた人間の素晴らしさに出会うとまだまだ大丈夫って大安心する。

 

 

 

 

 

20130329 ニギハヤヒの星の宮こと赤星明神の日の宮と春の宮へ

星大明社愛知県愛西市西保町宮西)
https://goo.gl/maps/F2i8wfmNTrKqUHLDA

 

ここは西保の星大明社 http://twitpic.com/cf90f9
posted at 2013/03/29 17:01:33
https://twitter.com/fuhgetsu/status/317547060779958272

f:id:fuhgetsu:20230223124809j:image

 

祭神は饒速日命 http://twitpic.com/cf90wd
posted at 2013/03/29 17:03:43
https://twitter.com/fuhgetsu/status/317547606488276992

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またの名を赤星明神、 通称、星の宮と申し、 桑名郡長島七社のひとつ。 http://twitpic.com/cf9371
posted at 2013/03/29 17:13:36
https://twitter.com/fuhgetsu/status/317550094054469632

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左に、日の宮 右に、春日の宮 http://twitpic.com/cf93f6
posted at 2013/03/29 17:14:33
https://twitter.com/fuhgetsu/status/317550332861378561

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20130314 星の宮こと星大明神社と夷ヶ森の皇大明神社

星大明神社愛知県愛西市上東川町宮東)
https://goo.gl/maps/k8ZjhWqyLntub6D68

皇大明神社(愛知県稲沢市祖父江町中牧宮原)
https://goo.gl/maps/7qVcamuDno4vpky17

 

八開村の上東川に広がる田んぼの海に、ぽつりと浮かぶ島影。ここには不思議な時間が流れていました。 http://twitpic.com/cb15en
posted at 2013/03/14 00:08:37
https://twitter.com/fuhgetsu/status/311856329948008451

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その生い茂る杜の中に、星大明神社がありました。 http://twitpic.com/cb16lj
posted at 2013/03/14 00:11:54
https://twitter.com/fuhgetsu/status/311857155101843457

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星宮大明神社由緒記 http://twitpic.com/cb19yi
posted at 2013/03/14 00:21:55
https://twitter.com/fuhgetsu/status/311859677946318848

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通称、星の宮と呼ばれ… http://twitpic.com/cb1aho
posted at 2013/03/14 00:23:37
https://twitter.com/fuhgetsu/status/311860103039045632

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祭神の星大明神は、饒速日命のことであると云われる。 http://twitpic.com/cb1b63
posted at 2013/03/14 00:25:42
https://twitter.com/fuhgetsu/status/311860629742960640

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ニギハヤヒの星の宮をあとにし、葦原の大海原を祖父江に向かって北上。 http://twitpic.com/cb1m1c
posted at 2013/03/14 01:00:05
https://twitter.com/fuhgetsu/status/311869280654356480

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位置関係的にも真北となる位置に、皇大明神社がある。 http://twitpic.com/cb1n5s
posted at 2013/03/14 01:03:34
https://twitter.com/fuhgetsu/status/311870156047515650

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集落に囲まれひっそりと奥まった場所に、目立たぬよう守られているような、とても大切にされていると感じる空間が広がっていた。 http://twitpic.com/cb1o0f
posted at 2013/03/14 01:06:37
https://twitter.com/fuhgetsu/status/311870925291266049

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由緒には、もと夷ヶ森より遷座とある… http://twitpic.com/cb1okm
posted at 2013/03/14 01:08:37
https://twitter.com/fuhgetsu/status/311871429215940609

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祭神は、日本武尊素戔嗚尊と天兒屋根命。 http://twitpic.com/cb1pbw
posted at 2013/03/14 01:11:19
https://twitter.com/fuhgetsu/status/311872108101763072

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星大明神社では天津甕星神や天香香男神ではなく、ニギハヤヒが。皇大明神社では天照皇大神ではなく、ヤマトタケルスサノオアメノコヤネが。 http://twitpic.com/cb1zw8
posted at 2013/03/14 01:50:44
https://twitter.com/fuhgetsu/status/311882026993209346

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先代旧事本紀』十巻本天神本紀に、饒速日尊(大歳尊)は天神(スサノオ)より「天璽瑞宝」を授けられ、降臨に際し「三十二人を防衛(ふせぎまもり)として天降り供へ奉る」とある。その神々の中には天背男命もいれば、天児屋命もいたことになっている。 http://twitpic.com/cb21lq
posted at 2013/03/14 01:57:57
https://twitter.com/fuhgetsu/status/311883844993298433

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ここから東の稲沢に、天背男命の末裔が社家を務めた尾張大國霊神社国府宮)がある。真南には津島神社スサノオがある。尾張二宮の田縣神社は、御歳神でニギハヤヒ。古代尾張の中ノ島では、ニギハヤヒと星神カカセオが融合し、調和していたかのように。 http://twitpic.com/cb24xw
posted at 2013/03/14 02:11:11
https://twitter.com/fuhgetsu/status/311887172099796992

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号泣きの最高記録を達成! #すずめの戸締まり

 

ぅわぁ、とうとう観てしまった!
ウズメの涙、じゃなくて、すずめの戸締まり。
実家近くの各務原イオンで50割。

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そんなことより、映画久しぶりなんだけど、年末前からずっと観たい映画が無くて。
そしたらこの映画の話題が突然タイムラインに流れてきたとき、圧倒的多数の友人たちの絶賛ぶりが1行読んだだけで伝わってきたから即読むのをやめて。
調べたりしなくとも、あーとうとう来たか、とその内容の濃さが伝わってきて、観ないわけにはいかないけどその勢いの中では観たくなかったから、延ばし延ばしにして熱りが冷めるのを待って、自分で観たくなるタイミングを見計らってたらたまたま今日になったという。
で、感想は。
はい、号泣きです。
予想では泣きが1回入ればよいところ、5回も来ました。
目頭にたまるレベルならまだしも、頬を伝って顎まで流れる映画なんてなかなかありません。
あそこはこういう意味でとか、小難しい深掘りはしません。
素直に、よかった。
いろんな意味でよかった。
もうそれでいいんじゃないかと。
缶の中から出て来た絵日記の真っ黒なページと日付。
その次を捲っても捲っても。
そしたらあった、あの扉が。
もうそれであかんのです。
そこまでは泣くことなんてあるのかと思ってたのに、ぐわぁーっと涙腺が大崩れして。
そこから畳みかけるように、あっまたきた、またまたきたと、5回もです。
新海誠監督の集大成にして最高傑作のふれ込みは伊達じゃなかった。
前作がどうのとか通り越えて、絵も構成もストーリー展開の流れも、その内容の奥深さもすべて。
岩戸に宗像に海部とか、叔母の名前がタマキだったりするけど、なんでスズメなのか。
ダイジンのキャラも、もっと何か深い気がするし。
人には言わずとも自分がいつも気にしてるようなテーマを、毎度毎度うれしいくらい扱ってくれる新海監督はいったい何者なのか。
そんなマニアックな神事の話をスピリチャルで片付けることなく丁寧に扱うところが好きだ。
もっと驚くべきことは、そんなマニアックなレベルの内容が全面に漂ってるのに、ミニシアターじゃなくて大手のシネコンの全国ロードショーで年末前の11月11日から年が明けて2月12日というのにまだまだロングランで客入りがいいっていうことが不思議でならない。
後ろ戸という大切な言葉が、これだけ多くの人に触れただけでもこの映画の価値がある。
実は、わたしが思う後ろ戸の使い方とは真逆の設定になってたけど、映画としてそれはそれでいいのだ。
それで出て来たのがミミズでも。
大きなエネルギーの話と、それを人知れず鎮める役目の人たちがいることさえ伝われば。
それから、何度も出て来る呪術的な祝詞のような呪文。
掛けまくも畏き火水の神よ、と思ったら、日不見の神よ、なんですね。
いろんな意味にとれるけど、これヒフミだね。
なんでお返し申すなのかわかんないけど。
また時間が経って、いろんな意味に気づいたり、いろんな答えが溢れ出たりしてよみがえってくるんだろうな。

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そして、年末じゃなくて今このタイミングで観れてよかったかもしれない。
あと1ヶ月となる311のあの日のことをしっかりと思い出し、そしてまた改めて見つめ直すためにも。

 

 

 

 

 

#竪 と #経 は、大地と北極星みたいなまとめ

たて穴住居は、竪穴住居と書く。
けして、縦穴ではないのだ。
なぜか?
ずっと疑問ではあった。


竪樋とか、建築用語ではすべからく竪の方向を示す言葉が使用されている。
竪琴も縦じゃない。
あれは琴が立っているからでなく、弦が垂直方向だから。
つまり、水平な大地を基準とする、垂直方向が


縦とは、つま先から頭の天辺に向かう自分軸に対して、大ざっぱな方向だから、平面の紙の上でも縦横となる。
もう一つ、という字もタテと読む。
経糸緯糸だ。
こちらは、経度と緯度のように、天体に使用されている。


宇宙には上下左右が無いが、北極と南極の地軸に対してのタテヨコ。
その地軸に対して水平方向となる緯度0度が赤道。
それを延長した天の極から、天の赤道に対して赤緯がある。
つまり、天の中心、北極星を基準としている。


七夕と棚機(タナバタ)で織物が天体と結びつくように、機織りは経糸緯糸で天のエネルギーを紡いでいるのだ。


は、大地と北極星みたいなまとめをしたけど。
竪琴といえば、ビルマの竪琴を思い出しちゃう。


楽器の構造を建築に見立てての竪(タテ)は、演奏するときに弦がヨコ向いちゃってても、響板に対して垂直に弦を張るから、竪琴。


アイリッシュハープも。
キンダーハープとか、リラとか、ライアーと呼ばれる楽器も。


大地のエネルギーを奏でる楽器なんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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3年ぶりに開催された #榊山神社 の例大祭 #叩き祭り にて

この榊山神社には、恵那蛭川の巨石群に春分のスポット光が射し込むことをはじめて確認した2年前から、周辺の縄文遺跡と神社巡りを同時にはじめたことでたどり着く。

 

しかし、ときはちょうど世の中が疫病に怯え、すべての祭りが中止に追い込まれる真っ只中でした。
誰もいない境内で、ここには春宮夏宮秋宮冬宮の四社があるとか、縄文の石棒も祀られ、奇祭と云われる叩き祭りがあることを知る。
なんとしても観たかったのだが、それが今年ようやく再開の兆し。
ただし、残念ながら一部省略の形で行われるとのこと。
初めてで戸惑って見逃すことのないよう、事前に宮司さんへ電話もして、祭り当日の時間など詳しい次第の流れをきいておいた。

 

事前に知り得た由緒はこうだ。
昔この辺り(恵那福岡)の山に牛頭天王が現れ、天から降ってきた七本の松の苗木を植えて祀るようにとお告げがあり、植苗木という地名がついた。
その後、歴代の統治者である遠山氏の広恵寺(山城)に祀られていたのが、戦国の世となってさらに条件のよい場所を探すことになる。
新たに、高森の山に苗木城をつくるため、植苗木の山から氏神である牛頭天王を神輿に乗せて遷座しようとする道中、今の榊山神社のある場所で神輿が突然動かなくなる。
その周りにたくさん生えていた榊の枝を折って、ご神体を乗せた神輿の担ぎ手を叩いてもうんともすんともいわないので、そのままここに祀ることになったと。
その故事に因んで、叩き祭りが行われるようになったわけです。
いや、なかなか面白い要素がたっぷりのストーリー展開に、奇祭と呼ばれるだけはある背景の奥深さ。
氏子が手にした榊の枝で参拝客を叩いてもらうと、その年は健康ですごすことができるとされてます。
しかし、よくあるこうした御利益は、後付の縁起担ぎだと思います。
祭り全体を見渡すと、神事から渡御のスタイルが独特で何かしらの意味がしっかりとあり、最後列の氏子が榊で叩きながらついて行くのです。

 

牛頭天王については諸々の謂れがあるためここでは割愛させていただくとして、やはりこの祭りに夏越の大祓や祇園祭の要素があることを感じた。
全国各地の祭りもそうであったが、八坂神社の祇園祭もこの2年中止となったことで、祭りの本義とは何か、ということがこんなに深く問われた時代は祭りがはじまって以来一度も無かったのではないかと思うほど、悩みに悩んだ規模縮小での催行は不幸中の幸いだったと思う。
山鉾巡行がどうとか神輿渡御がどうとかでなく、要素を削ぎ落とした必要最低限の神事のみで行うことで、祭り本義がくっきりと浮かび上がる。
年に一度の神幸により、八坂の大神が市中に出てきて、そこで直接、民が願い、祈ることで、疫病を祓い浄め、渦を鎮めていただく。
そして、還幸により八坂神社にお還りいただく。
こういうことだと思う。

 

はたして、恵那福岡の榊山神社はどうなのか。
元々の、3年前まで行われていたフルコースの祭りの次第がわからず、どこからどこまでが省略されたのかわからないが、ここでも祭りの本義が忠実に行われたいたことでしょう。
だから、祭りの由来や神社側の説明には無かったことですが、わたしにはこの祭りが牛頭天王祇園祭を忠実に行っているのだと感じました。
まず本殿で神事をして神降しし、神輿に乗っていただく。
渡御の並びにも意味があるのでしょうが、朱の傘に、死に装束である白装束、色とりどりの装束、獅子頭、神輿、と。
その秩序だった行列が、境内から参道を下り、市中に出る。
そして、戻ってくる。
榊山神社例大祭の中で、神幸と還幸をしながら榊で祓うのも、やはり祇園祭の本義と同じだと思ったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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違うけど同じという生と死を尊ぶアイヌの豊かな世界観 #チロンヌㇷ゚カムイ #イオマンテ

 

明日が名古屋の最終上映、その前日の今日。
今池シネマテークで、チロンヌㇷ゚カムイ イオマンテを観てきました。
ドキュメンタリー映画なので、そのままがスクリーンに写し現れるわけですが、そうした場の共有を現実であるかのように受け取り、感想を述べることは違う気がしますが。
それを承知で、わたしなりに書いてみます。

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アイヌの世界観は、これほどまでに豊かなのかと思い知らされる映像でした。
まだ、現地に行ったこともないけど、わたしなりにアイヌに興味を持ち、ちょっとかじっただけの知識でまったく理解はできてないけど。
久高や熊野で。
三河の山中で行う修験の祭りの中で。
郡上白鳥の六ノ里や、石徹白の中居神社でも。
アイヌに近いものを感じたり。
実際に何度かアイヌの方たちとも出会ってる。
そして、強烈に感じるものがある。
わたしとの大いなる違い。
それと同時に、まったく一緒ではないのに、同じものを感じるのだ。
それはこの映画でますます深まった。
違うのに、同じ。
これがとてと大切なことだと。
あるとき、歴史の中で歩んできた道の違いを知って尊重しあい、生まれくるところから互いに同じくするところで触れあえば魂も震える。

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クマのイオマンテしか知らなかったけど、初めて知るキタキツネのイオマンテ
わが子のように育てた動物を殺すのではない。
生と死をこれほどまでに豊かに祭り上げることができる人間という存在の意味。
現代的価値観ではけして何も語ることはできない。
これは知識で知っても何の意味もなさない世界だから、その時代、そのときその場所にいたとしても、部外者のわたしがどこまで理解できるかわからないけど、カメラはちょうどいい距離感でとらえてて、とても伝わってきた。
撮影された時は、ちょうどわたしが中学生の頃か。
その頃、まだこのような祭りが行われていたのだ。
35年前の映像に、当時のわたしと同い年くらいのエカシの孫が出てくる。
北村監督の秘蔵のドキュメンタリーが、やっと世に出たのが今の時代ということに、なんだか胸が熱くなる。
そして、その後どうなったか。
最後に、35年後の現在の映像が挿入され、映画として完成していた。
ナレーションと挿入歌の豊川容子がまた、映画をより深く、優しい響きで包んでくれた。

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カムイと人間。
動物と人間。
それらはまったく違うけど、まったく同じなのだ、といつも教えてくれる。
そんなアイヌの、わたしが大好きな世界観。
いつかどこかでチャンスがあれば、ぜひ観てください。

 

 

 

 

 

KEENのゴム紐が切れても交換できます!

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仕事場からアウトドアまで酷使して日頃から愛用している #KEEN のサンダル。
定番の #ニューポート は初代から何代目と履きつづけ、だんだん品質や耐久性にも見劣りを感ぜずにはいられなくなってきました。
それでも履けるうちは、修繕しながら大切に、履き潰すまで履くので、買うときの値段は高くても結果的に安くすんでます。
このモデルは2019年のフジロックとのコラボで、翌年のセールで購入したのでまだ2年ですが、とうとうゴム紐が切れました。
初期のモデルは10年履いても、ゴム底が擦り減って駄目になる前に紐が切れることなどなかったから、初めてのこと。
だから、交換できるとは知らなかった。
KEENで修理できるか調べたら、公式サイトに替えヒモがちゃんと用意されネット販売されてましたが、売り切れで入荷待ち。
ならばと、早速市販のゴム紐を流用しての自作に挑戦することに。
もともと色を変えたかったので、これは楽しいし、コツさえ覚えればサクサク作業できて簡単なので、みなさんにも伝授してみようと思います。

それから、こうしたパーツの専門用語も覚えました。
この、結ばずにひっぱって止めるだけの #バンジーレース。
ゴム紐は、#バンジーコード。
それから、引っ張るときの先端のおにぎり型のパーツを、KEENでは #アローヘッド と呼んでます。
つまり、矢尻の形って意味でした。
フジロックモデルは、このアローヘッドが蓄光タイプだったことに今更気づきました。
この部分もいろんなカラーがあればいいのに、別売はしてませんでした、残念。

バンジーレースの取り替え方法は画像を参照してみてください。
このモデルは赤が合うと思ってたので、わたしのは今回このような完成となりました!

 

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伏見ミリオン座にて、#ドンバス を観てきた。

 

まったく、土地勘も歴史観も、人種や宗教や国家の成り立ちもわからない。
ウクライナ軍検問所、とか。
ウクライナ東部占領地、とか。
ノヴォロシアとか。
気づかなかっただけなのか、ドンバスという地名はどこにも出てこなかった。

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ここはウクライナなのかロシアなのか、ずっと最後までよくわからないまま終わった。
だれとだれが戦ってるのかもよくわからない。
ただ、ウクライナ東部のどこかで、戦時に起きてるごく当たり前の日常をただひたすら映し出している。
どこまでが演出でどこまでがドキュメンタリーなのかもよくわからないけど。
こう来るかなとか、こうしたいんだろうなと勘ぐるような過剰な演出は一切なく、監督や作り手のゴールが決められた何かのメッセージに沿うような展開でもない。
ただ、監督はこの映画を通して祖国のウクライナを支援したいというメッセージだったことを見た後で知る。
わからない部分は映画の後でいくらでも調べることができるから、かえって下手な知識に固定されて見るより、本質的な部分にフォーカスしやすいから、かえってよかったのかもしれない。

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わたしはウクライナ側の真実とかロシア側の真実とか、何かモヤっとしている部分がこの映画でより深く理解できることを望んでいたようだ。
そうではない、なんなんだこれは、というさらにモヤっとした映像に対し、すぐさま理解しようとする眼差しをやめた。
目の前の現実は、頭で考え出したような単純な世界ではない。
ましてや異国の、想像もつかない地域のこと。
そんな土地に対して、呑気に暮らしながらテレビに映る戦争のごく一部を切り取ったような、作り手のゴールが決まったバイアスだらけの映像を垂れ流し見せられ、どちらが悪いとか、支援しなければ、という答えが予め用意されていることに対して、この映画の上映はとても意味のあることだと思う。
なぜなら、参院選を控えた今の日本がかなりヤバいから。
戦争を経験してない世代でこれから憲法を変えようとしてる。
こねくり回した知識ではなく、少しでも現地の状況をそのまま伝えてくれるような映画を見てもっとよく知りたい。
セルゲイ・ロズニツァ監督も知らなかったけど、この監督の評判をきいてますます見てみたくなり、楽しみにしてたのに。
さらに理解を通り超し、わからないものはわからないということがわかった。

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戦時中であることがわかる場面は日常の中に散りばめられているけど、最前線の凄まじい戦場でなく、一般市民の住む街での空爆の場面もない。
直接の戦場から離れた街のようだ。
そこで爆撃音や銃声はきこえるけど、何と戦ってるのかは見えてこない。
ただ、テレビクルーが紛れていて、クライシスアクターが走ってきて、フェイクニュースを撮影している現場が醸し出されたり。
戦争はこうして作られもするし、あらぬ方向からも自然発生的に突き進んでいく。
国家とか民族とか宗教とか、そんなレベルの問題でなく、生まれ育った土地である祖国で敵に家族が殺されたという積もり積もった直接的な恨みが戦争の原動力となってる。
だから単純にウクライナとかロシアではなく、敵はファシストだといってる。
酷い環境で悪臭の漂う人間の住むような場所ではない避難所暮らしであろうと、祖国にとどまることを望む。
国や支配層から命令されてやらされてるんじゃなくて、兵士でもない一般市民がファシストに勝つまでと、みんながそう思ってる。
これは、どこの国、どこの地域であろうと、人間の心理は変わらないだろう。
かつての日本の戦争もそうだったはずだ。
一度戦争がはじまればだれにも止められない。
何が正しくて何をしちゃいけないか、理性など一切なくなる。
上からの統制がとれた正規軍ほど戦争犯罪を起こしたがらないけど、無秩序な感情だけの一般市民の方が敵とみなした弱者をリンチしたりと暴走して、制御が効かない戦争犯罪を犯しやすい。
だから、ウクライナに対して武器支援するのではなく、即時停戦を呼びかけてる人にわたしは賛同していた。
長引けば長引くほど双方に犠牲者の数が増えるほど、相手のファシストに勝つまで、戦争をやめることなど考えもしなくなり、命を優先した停戦など不可能に近くなる。
そのことは、この映画を見ても強く感じることができた。

この感想文というかレビューは、初見で予備知識なしのただ見たまま、自分で何を感じたのかのメモです。
購入したパンフをこれから教科書にして、より理解を深めるつもりなので、勘違いに気づいたり、また考えも変わるかもしれません。
何にせよ、ただテレビやネットで垂れ流されてくる大量の情報は信じない。
この映画でさえ、自分の目で見たような錯覚に陥る可能性もあるけど、それも真実ではない。
どの位置に立って物事を見るかで、視点を変えればそれだけの数の正義があり、見え方も変わる。
そこにフューチャーするんじゃなくて、戦争とはそういうものだと理解すること。
そうならないためにも、どんなに難しくとも外交努力をしつづけることが一番大切で、万が一はじまったとしても即時停戦の道を早く見つけること。
一度でも戦争がはじまれば簡単に終わらない、どんな平和憲法であっても、コントロールなど効かないということを肝に銘じて。

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他国のことをとやかくいうより自国のことが心配で、悪夢のような現実を見てしまって気持ちが落ち込んだ部分もあるけど、少しはわかってるつもりになってた部分が理解できないほど理不尽な現実を見たことでちょっとすっきりしました。

 

 

 

 

 

#杜人 を観て。ナウシカのようにマスクは外して、地球も人も息をしている限りまだ間に合う。

 

名古屋のシネマスコーレにて、朝一の上映。
友人たちの何人もが、公開前からよい噂をたくさんしてたのもある。
しかし、なんの予備知識なしで、#杜人 を観てきました。

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ナウシカのような人というキャッチフレーズをチラシで見てしまったけど、そんな先入観など必要ないほど、もっと身近で現実味のある深いドキュメンタリーでした。
はじまってすぐさま泣きそうなくらい、でもその感動は大袈裟なものではなく、日頃から自分も常に意識して大切に思う心とまったく一緒の当たり前の眼差しだから、うんうん頷きながら響鳴し、染み込んでいきました。
環境再生医。
結のコミュニティ。
初めてきく言葉も多く新鮮だけど、この方が矢野智徳さんなのか。
スクリーンで初めてお会いする、でもどこかで会ったことあるような、本当にかっこいい人だ。
風の草刈りとか、風の剪定とか。
自然がやってる風の道を作り、表層の水切りや点穴を開けて空気を流し込み、水の流れを取り戻す、なんと地道で手間ひまかけた優しい作業。
それだけ、戦後から今日まで一直線に進めてきた開発という名の環境破壊で都市部だけでなく列島全土の自然を痛め傷つけてきたコンクリートの世界を、わたしは何のためらいもなくペロッと引き剥がしたい気持ちでずっといた。
それでも矢野さんは、ハチドリのひとしずくのように、水脈の滞った場所を見つけ出して流れを作り直す。
コンクリートU字溝に穴を開けるだけでも、人工物を完全撤去せず、残りは大岩のようにそのまま利用し、水と空気の抜け道さえ取り戻せば、大地は再び呼吸をしはじめることを、わたしはこの映画で学ぶことができた。
被災地の映像もでてきて、こういう復興が行われていたことも初めて知った。
砂防ダムや無駄な開発で本来あった目に見えない水の流れが鬱血して滞り、土砂災害となって犠牲者は出るけど、実は自然は自らの治癒力で滞った場所を破壊し、新たに水脈を再生して死にかけた土壌を回復しようとしているだけだ。
矢野さんの「土砂崩れは大地の深呼吸」という言葉が響く。
ここまで来たら、災害がきっかけでこれから目覚めていくんだなと改めて思った。
ハチドリもそうだけど、人はそんなことして間に合うのかと、死にゆく自然を横目に素通りしてきたのが今までだけど、自然は人間が居なくなっても回復する力を秘めている。

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滅びゆく真っ只中にいる人間だけが呑気に、まだ大丈夫と思ってる。
自然を守ろうではない。
わたしたちはどれだけ開発して自然を穢しても、どこまでも自然がわたしたちを守ってくれている。
医療で病気を治すのではなく、人の持つ自然治癒力を高めて治すように、人が思い通りに自然をコントロールしたり壊れた自然を回復させることもできない。
しかし、そのお手伝いならできる。
矢野さんの「息をしている限りは可能性がある」という言葉。
それはこの世界に落胆して、ハチドリのような行動ができないわたしに突き刺さる。
わたしがあきらめようが、生きとし生けるものすべては生の最期まであきらめず生きる選択をしつづけているという意味だったかから。
目の前でまだ息をしてるのに素通りしたら、いくら後で後悔しても死んでからでは救えない。
この数十年の開発を元に戻すのは途方もない労力と時間がかかる。
矢野さんのような人が100人いても叶わない。
そうじゃなくて、わたし一人が気づいて、わたしの周囲だけでも半径1mだけでも開発をやめて、意識するだけでも、変わっていくと思うし、そういう小さな広がりがやがて集団心理に働きかけるところまで行けば、相乗効果で思ってた以上に早くことが進む。
そんなことより、自然の回復力を心から信じることができれば、人のことなどどうでもいいのだ。
自分だけの世界といわれようと、人と人が結のつながりで命や生を大切にする集団とならないかぎり、前に進むことは困難となる。
それより大切なことは、人と人がつながる以前に、大地としっかりつながり直すこと。

エンディングのロールスーパーに友人の名前がちらほら、なるほど。
この映画は、専門知識のある方や、環境オタクでなくとも、普通の人でも、どんな考えの人であってもそれぞれの中で腑に落ちる言葉や映像が込められてると思うので、たくさんの人に観てもらいたいなぁ。
シネマスコーレは17日まで。

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【追記】

ナウシカのような人に出逢った」監督:前田せつ子

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たしかに、ナウシカのポスターにそっくり。

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「“杜”とは、この場所を傷めず穢さず、大事に使わせてください、と人が森の神に誓って紐を張った場」造園家/環境再生医:矢野智徳

杜人(もりびと)〜環境再生医 矢野智徳の挑戦 – MORIBITO – a Doctor of the Earth –
https://lingkaranfilms.com/

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「杜人〜環境再生医 矢野智徳の挑戦」予告編《1分51秒》
https://youtu.be/SdiPt4J6zd0

長編ドキュメンタリー「杜人(もりびと) 環境再生医 矢野智徳の挑戦」冒頭映像、期間限定公開《4分26秒》
https://youtu.be/LSdvW3hCZdk

 

シネマスコーレのスケジュール、貼っておきますね。
この機会に、ぜひ!

名古屋の映画館シネマスコーレ
http://www.cinemaskhole.co.jp/cinema/html/home.htm

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