月音(つきのね)∞風音(カヂヌウトゥ)

◆キーワード:宇宙/巨石/葦船/褌/大麻/真菰/縄文/磐座/神社/修験/民俗/旧暦/お祭り/音楽/アート/映画

もうすぐ尾張津島の天王祭ですがここで牛頭天王とスサノオを再考してみる

夏の土用入りで、尾張津島天王祭が近づくとワクワクしてくる。
尾張スサノオ、ここにあり。

 

しかし、祭りは牛頭天王祇園信仰というパラレルワールド
先日、ついつい「祇園も津島も牛頭天王 スサノオとは関係なし」とあっさり書きましたが、

これだけでは勘違いされて終わるので、今日は長々と書きしたためますので覚悟してくださいね。

スサノオについて、古事記日本書紀には高天原で悪さして追放される話が記されているが、スサノオ牛頭天王であるとか武塔神であるとは何処にも記されていない。
古事記ではそれ以上詳しく書かれてないのに、八年後に書き直した日本書紀にはその後のスサノオが詳しく記される。
何が書かれたかというと、こうだ。
高天原から出雲に天降る前に、スサノオは息子の五十猛神を連れて、新羅の曽尸茂梨(そしもり)に天降る。
この時点では、牛頭天王とソシモリはまったく関係なかった。
では、そのカラクリを見ていきましょう。

備後国風土記に、武塔神スサノオであるとする蘇民将来の説話が記されたのが初見でしょう。
北の神の武塔神が、南の神の娘を夜這いしに訪れる。
後はご存じの蘇民将来説話だ。
蘇民将来の娘以外はすべて皆殺しにした疫神の武塔神は、なんと捨て台詞でわれスサノオなりと名乗るのだ。
武塔神とは中国の疫神との説もあるが、実際の中国にはそのような神名がなく、説話の内容からも陰陽道から派生した神と思われる。
そこで、備後国一宮の素盞鳴神社は、備後国風土記に出てくる疫隈国社(えのくまのくにつやしろ)であると名乗り、由緒あるスサノオ祇園信仰祇園祭の発祥地となった。
その社伝によると、創建は679年。
その後、734年に播磨の広峯神社へ勧請した。
一方、牛頭天王を祀る広峯神社では、八坂神社と同様に新羅人が創建した新羅神社と伝わる。
また、その後の869年に平安京の寺へ勧請し、それがあの八坂神社となる。
一方の八坂神社には、高麗の伊利之使主(イリシオミ)が牛頭(ソシモリ)山のスサノオを祀ったと伝わる。
つまり、記紀が編纂される前からスサノオの信仰があった土地でもなく、陰陽道による備後の武塔神と一体化したスサノオは、その後すぐに仏教も影響して、神仏習合により祇園精舎の守護神だった牛頭天王と同神であるとする祇園信仰にまで発展していく。
日本書紀にある新羅の曽尸茂梨のソシモリは、朝鮮語でソ=牛でモリ=頭で、牛頭であるとされたのだ。
ことのはじまりの武塔神が北の神なので、スサノオ新羅の牛頭山であるソシモリから来たということで、当時の人にとってもますます信憑性を得たことでしょう。
でも、たかがそれだけです。

スサノオは出雲神なのか、スサの国の王なのか、やはり朝鮮半島からやってきた渡来神なのか。
出雲という土地が渡来人の往来する地であり、そうした渡来神の神社もたしかにある。
しかし、だからといって安易に渡来神と結びつけるより、まずは出雲国風土記スサノオ像を詳細に記述をしており、それとは違う性質のスサノオ像を記紀が反映したと見ています。
風土記の素朴な神であるスサノオ御子神の名に剣や矛や木種を撒くようなイメージがあり、そこからストーリーを得て記紀の荒ぶるスサノオ像が出来上がったと。
とにかく、スサノオは出雲の須佐に渡来したのち、出雲の土着神と渡来神が融合して風土記スサノオ像ができあがったのではないか。
話を戻すと、牛頭天王スサノオは関係ない、ということ。
どこを見て判断するかにもよりますが、植えつけられたスサノオ像があまりに個性豊かすぎて諸説入り乱れてますが、歴史に正解はないので、スサノオ牛頭天王についてもみなさんでお考えください。

ところで、まだあるのと思われるかもしれませんが、もっと話を戻すと、全国の天王社の総本社が尾張津島神社
江戸時代まで、全国に祇園信仰が流行り、牛頭天王を祀った天王社が明治の国家神道で祭神をスサノオにすり替える。
日本の歴史によくあるなんとも複雑怪奇な現象ですが、津島神社ももれなくその影響を受けておりますが、珍しくここだけは逆の逆というパターンなんです。
社伝によると、540年に津島神社として創建。
備後の疫隈国社よりかなり古くからあったことがわかりますよね。
その由来はというと、西国の対馬に流されたスサノオ大神が、対馬からこの地に来臨したからです。
もしかすると、これも対馬にいた安曇族が古伊勢湾に入ってきた名残かもしれません。
その後、神仏習合の影響により祭神を牛頭天王に改め、江戸時代まで津島牛頭天王社となったのです。
実は古代に遡るほど、洲崎神社のように尾張スサノオの関係はとても深かったので、このような逆の逆で反転する面白さがこの土地にはあります。
そんなイメージを膨らませ、知識でなく全身全霊でこの大地を感じてみて、ぜひ尾張津島の天王祭を楽しんでみてください!