夏至のタイミングで、この安弘見神社へは初めての参拝となりました。
どこか懐かしい拝殿前で、美しい茅の輪くぐりが迎えてくれました。
ちょうど次の日曜、6月27日に夏越の大祓神事が行われるようです。
蛭川のことを、わたしがいつも恵那蛭川と呼んでるのは、恵那郡蛭川村の印象が強いから。
今は合併して、中津川市蛭川です。
その蛭川に巨石群のスポット光がご縁で通うことになり、恵那が胞衣であるように前からそのヒルカワという言葉の響きにも何かを感じていた。
蛭川村には親王の墓所もあるなど、あちこちに南朝伝説が色濃く残る土地。
ここには南朝方の重臣だった和田一族の御霊が合祀されていると云う。
わたしの母方が和田姓なので気になるところ。
しかし、その痕跡はどこにも見当たりませんでした。
明治維新まで牛頭天王社と称し、神仏習合で素戔嗚尊を牛頭天王と呼んでいた。
安弘見(あびろみ)とは、笠置山周辺の地を呼んだ安弘見郷の名によるもの。
今に伝わる杵振り踊りと獅子舞は、境内の薬師如来に奉納されていたが、明治の廃仏により一切を失って知るすべもない。
蛭川村の南朝伝説によれば、宗良親王の御子である尹良親王がこの地で亡くなられたが、その従臣や子孫がここに土着し、剱の舞を伝えてきた。
それが後に、杵振り踊りに転化していったと云う。
杵振り踊りは、今年の4月も中止となってまだ未体験ですが。
赤青黄の市松模様に塗り分けた臼型の和紙張り笠をかぶり、赤いハッピに白タスキ、水玉模様のカルサンと黄色のハバキを身につけた踊り手は、紅黒に塗り分けた杵を前後左右と器用にあやつり、練り踊ります。