月音(つきのね)∞風音(カヂヌウトゥ)

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太陽の短剣サンダガーと恵那蛭川の巨石群

前年の2019年まで10年以上も通っていた金山巨石群を勝手に卒業し、2020年の春分前に恵那蛭川で未知の巨石群に遭遇し、春分と夏至のスポット光を発見したばかりのころ。
2020年6月29日に、ネットで見つけた2012年の記事にヒントがありそうな気がして、一部翻訳してSNSに投稿しました。
https://x.com/fuhgetsu/status/127744491888181657

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その後、秋分はもちろん冬至にもスポット光の観測に成功し、複数の巨石群に光が入ることが徐々にわかってきましたが、全貌がつかめるにはほど遠く新たな発見が相次いでるので、ブログには夏至のスポット光を載せたことがありつつ、春分と秋分のスポット光も冬至のスポット光も未発表のままですが、今回もその一部として。
春分と秋分(同じ光なので同じ巨石群)のスポット光が現れる巨石群で、やはり11時台にこちらと同じ「剣のような縦に長細い光」が射し込みます。

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しかし、洞窟内に入り込んだ土砂により壁面は埋まっており、掘り出せばもしかしたら渦巻きが現れるかもしれないな、と。
この光は正午前に消えて、しばらく暗闇となり、正午前後に再び現れたときには三角形のスポット光となるのです。
だから、南中する太陽をとらえた重要な三角形のスポット光に対して、時間的にも早い剣のようなスポット光にはあまり注目してこなかったのですが。
改めて、この光の現象について参考となる記事の全文を、機械翻訳でいつでも読み返せるよう、ここに載せておきたいと思います。

Native American Antiquity: Archaeoastronomy -- Fajada Butte -- Sun Daggers
http://nativeamericanantiquity.blogspot.com/2012/11/archaeoastronomy-fajada-butte-sun.html

考古天文学――ファジャダ・ビュート――サン・ダガー

まず、考古天文学とは何でしょうか? それは、古代の人々が天文学をどのように研究し、あるいは利用していたかを調べる学問です。 夜空に輝く星々の位置、一年を通して地平線を横切る太陽の動き、18~19年周期で地平線を巡る月の動き――これらすべてが古代人によって研究・記録され、天体暦として活用されていました。こうした周期に関する知識は、作物の植え付け時期や移動の時期、宗教的な祝祭日、そして一年を通してのその他の重要な行事の時期を知る上で、古代人にとって大きな助けとなりました。

ニューメキシコ州の中心部には、かつてアナサジ文化の中心地であったチャコ・キャニオンと呼ばれる乾燥した峡谷があります。この峡谷には、ファハダ(Fajada)ビュートと呼ばれる不気味なビュートがそびえ立っています。 高さ450フィート(約137メートル)にも及ぶこの巨大な岩山の頂上には、南側の壁に寄りかかるようにして3枚の大きな砂岩の板が置かれている。これらの巨大な石の背後にある壁には、アナサジの天文学者たちが2つの大きな螺旋を彫り込んだ。毎日正午になると、太陽の光が石の間から差し込み、螺旋の上に光の柱を投影する。 一般に「光の短剣」と呼ばれるこの現象は、正午前に螺旋の左上に現れ、その後螺旋全体に広がって螺旋を覆う「短剣」を投影し、やがて螺旋の上から下へと消えていきます。これは驚くべき、ほとんど魔法のような現象です。

「サン・ダガー」の動画はこちら
https://youtu.be/I1qdhU5Lw2A

「サン・ダガー」現象は、1977年にファジャダ・ビュートの岩絵を記録するボランティアとして活動していた芸術家のアンナ・ソファーによって初めて発見されました。 彼女は最初の訪問時、崖壁にある2つの螺旋状の岩絵の前に、3枚の石板が崖にもたれかかっていることに気づきました。 2回目の訪問時、彼女はたまたま午前11時頃に現場に居合わせ、光の短剣が螺旋の一つを真っ二つに貫くのを目撃しました。この光の短剣は1日約18分間しか現れないため、これは驚くべき幸運でした。夏至が間近であることを悟った彼女は、この場所が重要な考古天文学的遺跡であると正しく認識しました。

翌年、彼女は「ソルスティス・プロジェクト」を設立し、この「サン・ダガー」遺跡の研究、記録、保存に注力した。彼女のチームは、春分の日には2本の光の短剣が現れることを突き止めた。小さい方の短剣は、小さい方の螺旋の中心を貫き、大きい方の短剣は、大きい方の螺旋の中心から外れた位置を貫く。夏至には、大きい方の螺旋が、大きい方の短剣によって中心を貫かれる。 秋分については春分と同様である。そして冬至には、2本の大きな短剣が本立てのように大きな螺旋の両側を抱きかかえる。さらに驚くべきことに、大きな螺旋の19の区画が、地平線上で月が最小から最大に至るまでの19年間の動きを示していることが観察された。

1981年9月、クイーンズ・カレッジで開催された考古天文学シンポジウムにおいて、アンナ・ソファーは自身の研究に関する論文を発表した。シンポジウムの結論として、サンダガー遺跡は、太陽と月の両極端が示されている世界で唯一の既知の遺跡であることが示された。

1000年以上にわたり、これらの石板は太陽の極点を示す光の短剣を生み出し、19年周期の極点を通過する月の影を刻んできた。その再発見は大きな関心を呼び、現場を直接観察しようと多くの訪問者が押し寄せ、石板周辺の土を踏み固めてしまったため、立ち入りが制限されることとなり、現在では公園職員でさえサン・ダガー遺跡を訪れることは許されていない。 残念ながら、その被害は致命的であり、石板の位置がずれてしまった。その結果、石板はかつてのように光の短剣を生み出さなくなった。制限措置が講じられたのは、それを救うには遅すぎたのである。
-- コートニー・ミラー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たまには夢日記でも書いてみるか #金鶴塚 #金弦塚

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夢の中できこえたんですよ。
それまで何か見てたはずなのにどんなストーリーだったか覚えてないけど。
その声は、叫びでも囁きでも無く、独り言のように呟く感じで、しかもはっきりと。
それを偶然きいてしまったような。
わたしはちょっと低い位置で暗い場所に居て、明るい右手上方から女の人の声がきこえ、「かなずる(づる)つか」とはっきり聴き取れたところで目覚めたんですよ!

その声で目覚めたので、いつもは起きたらすぐ忘れる夢の内容も、その捨てゼリフのような言葉は覚えたてのままだったから、これは大切なことに違いないと頭の中をグルグルしながら、どうしたもんかと寝起きの頭でしばらく思索に耽ったいた。
その言葉とは「かなずるつか」または「かなづるつか」で、すに濁音なのかつに濁音なのかでも意味が変わるかもしれないけど、きっと何処かにありそうな地名のようだった。
まったく初めてきく、きいたこともない言葉なのに、深く意味があるように思えてならない。
調べましたよ。
日本には無い。
けど、韓国にある。
やはり古墳でした。

ひとつは、#金鶴洞古墳群。
百済の横穴式石室43基の古墳群。
そのすぐ近くが、#武寧王陵。
百済25代武寧王の生誕地は日本の加唐島です。

もうひとつ。
#金鈴塚(#禁令銃)を金鶴塚とも呼ぶようで、6世紀初頭の新羅の王子の墓でした。
ここでもすぐ近くが、#武烈王陵。
新羅29代武烈王は660年に百済を滅ぼす。

今思えば、夢のシチュエーションが古墳そのもの。
わたしは古墳内部の石室に居て、その上にある明るい方から声がきこえたってこと。
それがもしかしたら、百済なのか新羅なのか。
そうであるならその声は、姫なのか、巫女なのか。
いつかその場所へ行ってたしかめてみたくなる。

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#建国記念の日 に想うこと。

わたしも神社巡りをはじめてから歴史を調べたり知識に取り入れたころは、この日は特別な想いがありました。
今は違う。
強烈な違和感。
神社が今あるカタチとなったのは、明治で国家神道となるときにかなりテコ入れして歪な強靱さを植えつけられ、未だにその名残を引き摺った格付けや権威主義なところを垣間見るとうんざりする。
神社好きなわたしですら、人の想いというのがこうした古き良き聖域で語られるとうんざりするんです。
宮司神職の友人知人であっても、自民と同じ戦前回帰を臭わす強い日本への憧れが表面化したり。

だから、仏教以前=神道以前からある、山岳信仰役小角と泰澄が開いた修験道の方が自分にはしっくりくる。
その後の平安時代に、遣唐使空海最澄による密教までいくともうついていけないんだけど、その流れで後の安倍晴明陰陽道につなげるところにも響命してて。
さらに、江戸時代に庶民や先住民の信仰に寄り添い神仏像を彫りつづけた円空がもっとも自分にしっくりくる存在として、共にこの時代を生きてる気がしています。

だから、建国という言葉に敏感となる。
明治の紀元節建国記念の日で、建国記念日とはいわない。
明治政府が、記紀神話神武天皇が即位したとされる場所に橿原神宮を創建し、即位した日(辛酉の年の元日)を西暦に換算して紀元節を創設しただけの、まったく日本の歴史とは関係のない代物。
その辛酉の年が紀元前660年というのも仮説に過ぎず、西暦2026年にプラス660年で、今年は皇紀2686年を祝うなんて、わたしにはとてもできない。
そんな明治の国家神道から来る、日本は神の国、日本はすごいと、神聖な気分になどなれない。
仮に神武天皇が実在したとしてもだ。
もしそれを祝うなら、先住民を征服した記念日ということになる。
諸説ありすぎていつ建国したのかわからないというくらい世界的にも古く、長い歴史であることには違いないが、せいぜい日本という国号となった大宝律令からというのが妥当。
わたしはそんな日本人である前に、縄文からの先住民がつないでくれたこの奇跡の大地の列島人であり地球人でありたい。

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追記:2026/2/13

ギリシャ建国記念日は、1821年3月25日にオスマン帝国支配下にあったギリシア独立戦争を開始した日として、毎年3月25日を独立記念日と呼んでます。
古代ギリシャまで遡れば、紀元前8世紀のポリスと呼ばれる都市国家の時代となってしまう。
イタリアの建国記念日は、1946年6月2日に王政から共和制になった日として、毎年6月2日です。
これを日本のように古代まで遡れば、紀元前753年4月21日にロームルス古代ローマを建国して初代ローマ王となったと伝えられた日、となってしまう。
しかし、イタリアではその4月21日を建国記念日とせず、ローマの創建記念日と呼んでます。
そのローマは現在イタリアの首都なんだからイタリアでは無いというなら、神武天皇弥生時代にまだまだ日本なんていう国は無く、統一国家にほど遠い一地方の古代都市レベルの大和の畝傍橿原宮です。
やっと弥生時代から古墳時代となる2世紀末から3世紀になって邪馬台国の時代ですからね。
そこからずっと下って、日本が封建制から中央集権制になったのは、明治4年1871年
江戸時代から明治時代は空白の時期があってはっきりとせず、明治維新の1968年に江戸幕府から明治政府が発足してもまだ戊辰戦争中で、廃藩置県して中央集権制となるまでは内乱状態。
なので、常識的に考えればこの辺りでどこからが建国とするのが妥当なのかしっかり議論して定めてから、正式に近代国家の建国記念日とすればいいはずですが、まったく妄想レベルで建国したわけでは無い古代の神話を鵜呑みにして、それを誇りに想うことはできないということです。
もし現代国家としてその日を祝うなら、神武天皇即位記念日とはっきりいえばいい。
恥ずかしくていえないと思うけど、国旗損壊罪とか今の政治がそれくらい危ういので、わたしはこの建国という言葉にも敏感となってます。

 

 

 

 

 

艮の金神が開く丙午のエネルギー

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前夜からの節分が明け、本日の立春で #丙午(ひのえうま) のエネルギーに転換しました。

このところずっと世の中の変化が目まぐるしいですが。

世間一般的には新暦1月1日の正月から干支が丙午となり、火と火が重なるとか、太陽と太陽が重なるとか、昔っからよくいわれる丙午のエネルギーが話題となりましたが、わたしは1月1日に何も感じませんでした。

実は、1月17日が土用入り。

立春前の18日間が、土公神の司る土旺用事こと土用。

この間がすさまじかったように思うのです。

節分から立春の変化は毎年のように感じますし、今年はそのエネルギーがすごいのもよくわかります。

暦の上では春が立った、というだけのことではありません。


寺や神社で様々な行事をしますが、これは仏教でも神道でもなく、明治で封じられた陰陽道の名残が日本の伝統行事や風習や暦の中に残ってるもののひとつです。

一年(1太陽年)の巡りに四季がある。

それを二至二分と四立の八分割した中に、立春がある。

さらに二十四節気、七十二候と、陰陽五行説がベースにある古代中国の太陰太陽暦が導入された。

ただし、この列島には大和の日本となる前の縄文時代から陰陽五行説のルーツも反閇のルーツもあり、大陸で洗練されての逆輸入ですが、それゆえにさらに日本の風土に合うよう改良された万能暦が明治となるまで千年以上もわたしたちの心身に深く根づいてきました。

同時に、日本独自の陰陽道として発展し、博士と呼ばれる陰陽師がマツリゴトの中枢に配されるようになり、渡来系の神道や外来の仏教にも大きく影響を与えながらより豊かな文化となり、土着の山岳信仰をベースに神仏習合した修験道の根幹をなす部分にまで陰陽道が浸透したのだ。

そうした部分はごっそり明治で根絶させられたので、神道や仏教や祭りや旧暦の中に意味がわからなくなりながらも残された。

修験道は形を変えざるを得なくなり密教の中にも残るが、暮らしの一部だった里修験の名残は地方の民俗芸能や年中行事の中に形を変えないまま保存された。


節分の鬼とは。

中国大陸の鬼は弱々しい、イメージとはほど遠い餓鬼だ。

大和に伝わった追儺の鬼遣らいは邪鬼祓い。

節分と立春を方角でいえば北東となり、鬼門とされた。

しかし、本来は春が立つというめでたい日のはず。

以前は四立(立春立夏立秋立冬)の前日すべてに節分が存在した。

川を渡る橋や、集落や村の境や、辻(道の交差点)や、昼と夜が入り混じる逢魔が時など、アチラ側とコチラ側が入り混じる境界では魔が射すとされ、よほど注意して用心するか、呪術を用いて邪鬼祓いをしないといけなかった。

そうやって、季節の変わり目となる四立の中でも、もっとも重要とされる立春だけに節分が残ったというわけだ。

大和が東国支配をしようにも、東北の蝦夷には先住民による別の文明があり手強かった。

鬼門の方角から、鬼がやってくる。

つまり、この列島での鬼とは先住民そのもののことだった。

ここからいろんな解釈の物語が編み出されていく。

日本の節分行事のルーツは、中国の追儺が宮中で行われるようになったことから。

ただし中国では大晦日の行事で、日本のように節分で行うことはない。

都では魔物とされ、大豆を煎り豆にすることで二度と芽が出ないよう、魔目である鬼の目にめがけて投げつけ魔を滅する、魔目=魔滅に通ずる豆撒きの風習となったことは、都から見た先住文化の封印という呪術に加担することになり、それが知らず知らず現代にまでつづいてるわけで、実は他にもこのような呪術を気づかないうちにやってることが多々ある。

だから、そうした地域では鬼は外と言わず鬼は内として本源神の福の神を招き入れる。


赤鬼とか青鬼とかの色にも意味がある。

鬼は他にも黄鬼緑鬼黒鬼で五色。

仏教の五蓋は五つの煩悩。

赤は貪欲(とんよく)なので、赤鬼だけ鬼に金棒を持っている。

青は瞋恚(しんに)、黄または白は掉挙(じょうこ)、緑は惛沈(こんちん)や睡眠(すいめん)、黒は疑(ぎ)を象徴している。

また、十二支で鬼門の方角は、丑寅となる。

だから、牛のツノに虎のパンツで、鬼門の方角を現している。


自然観察により誰の目からもわかる天(太陽)が陰から陽に転ずる冬至とは違い、自然を読み解き人間がつくった哲学、陰陽五行説による陰から陽に転ずるもっとも重要な節目。

古代中国の冬至正月から王朝が変わり、立春正月の新年とされたのだ。

言わずと知れた冬至は、太陽がもっとも南の空を低く移動して日照時間が短くなって、再び復活する日。

その太陽エネルギーが45日かけて地球の大気に遅れて伝わり、気温がもっとも寒くなる大寒から再び春の陽の氣に転ずるのが立春ってわけ。

春分は、太陽が真東から昇り真西へ沈み、昼と夜の長さが等しくなり、陰陽和合で調和する。

さらに45日かけて大地や海の中へも遅れて伝わり、地温や海水温がもっとも冷たくなったのが再び温かくなって、冬眠していた虫が目覚め、植物の種が芽吹く大地のエネルギー。

冬至が太陽の新年なら、春分は地球の新年。

わたしは、立春が人間の新年ととらえてる。

この三つが天地人の新年であると。


大本教では、この鬼門のことを艮の金神と呼び、その本源神はクニトコタチである。

わたしたちはちょうど今、その立て直しのエネルギーの中にいます。

 

 

 

 

 

#ナガミヒナゲシ が咲けば #ニホンミツバチ の羽音が響く庭にて

※こんなに長くなるとも、ここに書こうとも思ってなかったから、写真も撮り損ねました。
画像はネットから拝借のイメージです。

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いくら人から嫌われ者の花であろうと、長実雛芥子(ナガミヒナゲシ)の美味しい蜜に誘われミツバチも訪花します。
今朝、うちの庭のはずれにオレンジのきれいな花が咲いてました。
この庭にはセイヨウミツバチもニホンミツバチも訪れます。
以前調べたときに、見つけ次第抜かないといけないほどの危険な外来種という言葉が頭をよぎったが、ミツバチのためにも抜かない選択をしました。
さて、正義感の強い現代日本人には許しがたいでしょうが、ガマンして読んでください。
日本では外来種だし、触るとかぶれる毒があり、種が豊富で繁殖力がすごく、他の植物を発芽抑制して広がるので、とにかく危険だから見つけ次第抜いてくださいとうるさいほど流布されてる。
検索すれば反論の余地がないほど。
でも、必要の無い命があるのか、とか、自然をコントロールすることができるのかという問いには答えられない。
ナガミヒナゲシの茎や葉に含まれるアルカロイドという成分が有毒でかぶれるといっても、そうした毒性は葉と茎のみの身を守るためだし、繁殖力や発芽抑制などほとんどの植物にも当てはまることだし、循環する生命としての子孫を残す手段はそれぞれが発展させてきた戦略であり必須要素。
素手で触って何ともない人もいるし、かぶれる人もいるから気をつけてと声かけすればですむ話。
なにもナガミヒナゲシだけ悪魔扱いする必要はどこにもないし、誰も葉や茎以外は有用かもしれないという可能性に着目しようともしません。
単に外来種だからでいいことを、言い訳ばかりの大袈裟すぎる勢いで煽りまくってるとしか思えません。
例えばあのセイタカアワダチソウがめちゃくちゃ叩かれまくり、その徹底ぶりが行き過ぎて除草剤てんこ盛りで駆除したはいいが、大地と子孫に毒を盛っただけで、後になってあれは有用植物だった、ちゃんちゃん、じゃすまないことをしてきた日本人だもの。
なんちゃら保護団体とか、そうした地球を愛する自然大好きの環境保護を自称する多くの方たちは、本当に自然のことを理解し、共生する気があるのか、それが日本人の持つ感性から生まれた発言や行動とはまるで違うという違和感しかない。
コロナ禍の県外ナンバーとかマスク警察みたいに、善良な市民が正義を振りかざす異常さと同じ心理状態なのか。
ちょっと話は逸れるが、これって大麻の存在そのものを国家レベルで上から徹底的に潰す悪魔崇拝にも通ずるものがある。
医者や医療関係者がビワの種を危険ということも。
とにかく正義を前提とする刷り込みの知識ほど恐ろしいものはありません。
一度洗脳され習慣化までしてしまったら、その呪縛を解くのは並大抵の努力では困難となる。
911も311も567も、わたしたちはいったい何を学んできたのでしょう。
そうではなかったと気づいても、厄介なバイアスがかかった思考から離れられなくなる、とは、わたしたちが経験から学んだことのひとつなはずなのに。

ここからは、わたしの自宅で試すことができた経験からの話。
あらゆる雑草と呼ばれるものたちも、刈り込んだり引っこ抜いたりしないで、こちらが敵対視せず共生してるうちに、土壌微生物が安定してだんだんと豊かに増えるので自然と調和へと向う。
そして、土中に無限に埋まってるタイムカプセルの雑多な種の中から、土中環境に合わせて菌や微生物がどの種子を発芽させるか選んでるだろうし、そうした合図をキャッチして、眠ってた種子の中でも覚醒するタイミングがばっちり合うんだと思う。
その証拠に、草刈りしなくなった庭と自宅周辺には有機肥料すら与えてないし、地続きではない飛び地であっても、徐々に植生が変化していき、やがて弱々しい背丈の低いやさしい可憐な草花たちに覆われ、草刈りなど一度もする必要が無くなった。
そこに、ほんのひとつやふたつナガミヒナゲシが咲いたくらいで大騒ぎしてる場合じゃないでしょ。
ようこそ、うえるかむなんです。
そしてバイアスを取っ払って、見えてる世界と心の眼の両方からよく観察するようにしてみます。
何も理解してないのに、誰かが言った恐ろしい差別意識と暴力行為にいったい何の意味があるのか。
自分自身で確かめた上で、この先どうしても不都合なことがあれば、自然の成り行きを優先しつつ最低限手を加えるまでに留めようと思います。

別の角度から、ミツバチ目線からもうひとつ。
国は家畜のみ保護してカネを使うけど、野生の在来種は保護せずカネも出さないから大学も研究せずの無関心を貫く、カネにならない棄民政策のような無情ぶり。
ニホンミツバチが危機的状況でもセイヨウミツバチだけ保護されるのはそんな理由からなんですが。
そこに分断が生じ、外来種のセイヨウミツバチがもたらしたアカリンダニのせいにされたり。
激減する原因は複雑に折り重なった要素のひとつであり、農薬も当然そのひとつ。
人為的な農薬こそ禁止するべきだけど、外来種として適度に管理さえすれば在来種への影響もコントロール可能で、アカリンダニについても将来的には耐性ができ、遺伝的にも進化していずれ落ち着く可能性がある。
現に、巣箱ごと蜂群が全滅することもあれば、一部だったり、ぜんぜん大丈夫な蜂群があったりで、健康な蜂群の免疫力があればクリアできそうな感覚があるのも事実。
だから現状これでよし、ではなく、人が介入して搾取しつづけた結果、絶滅危惧に至ったのだから、それまで何とか持ちこたえるようニホンミツバチこそ徹底的な保護のまなざしが必要なんです。
在来の野生ミツバチ自身が絶滅から回復の方向へ向かうお手伝いはすれど、最終的には人為的な保護などせず、何が起きようとすべて自然に委ねるしかありません。

さて、ここからが本題。
大麻がどうと話しましたが、こちらも悪名高きケシですよ。
縄文時代からこの列島で栽培され、日本の伝統として共生してきた大麻文化。
そのヘンプには麻薬成分が極微量かほとんど含まれてないのに、GHQによる戦後のどさくさに紛れた大転換の悪魔扱い。
その前にイギリスはケシの実、つまりアヘンで中国を侵略したんですよ。
要はやつらにとって支配や侵略の手段でしかないのです。
ケシの実が危険なのはなぜですか。
大麻と同様、種によって麻薬成分は異なります。
つまり、太古からその成分によって使い分け、有効活用してきたモノばかりで、危険とか禁止とかしてきたのは支配者がそれをそのときのいいように利用してきただけという歴史なだけで。
実際の効能やその使い方は、本来自由であるべきなんです。
純然たる自然の植物なんですから。
それを人工的に精製した覚醒剤とは区別してください。
それで、ケシの話に戻します。
日本でもケシは栽培され、食用とされてきましたよね。
アンパンに乗ってるのは胡麻じゃないですね、ケシの実です。
鳥のエサにも入ってます。
庭の定番、ポピーの花もケシ科です。
同じく、ナガミヒナゲシもケシ科です。
外来種だけど、特定外来生物や生態系被害防止外来種には指定されていません。
つまり、国が規制してるわけではないんですよ。
だからこそ正義感の強い保護団体系の人たちがこれは不味いと、善意で周知するためにちょっと大袈裟に盛って危険外来種のイメージダウン作戦が成功した例ではないかと思われます。
知らなければただきれいな花ですんでたものを、SNSも善し悪し。
本当の真実はネットに載せないのが基本。
その上で、善い情報ほど見向きもされないか意図的に隠され、ガサネタやフェイク、不自然なAI画像といったインチキ情報ほど多くの人が喜んで拡散してる傾向があることを肝に銘じて。
そのうちブログなどの記事もぜんぶAIが書いてくれ、人の記事がデマやフェイクか見破るようになるでしょう。
ならばわたしは、これから特にAIには書けないような話だけするようにしていきたいです。

最後にこっそり、ナガミヒナゲシの話に戻って。
実は、その種が美味いらしいんですよ。
種だけでなく花も食べられるそうです。
そんなこと、誰も教えてくれませんよね。
わたしはわたしなりの感性でこの植物を観察しながら、そうしたことも確かめたり、自分なりの気づきを得るまでいろいろ教えてもらおうと思っておりますので、もし近所で見かけても怒鳴り散らかさないでくださいね。

 

 

 

 

 

人間らしい生き方の #アイヌプリ

 

アイヌプリをミッドランドシネマ名古屋空港で観てきた。

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福永壮志監督の前作、アイヌモシリ(アイヌモシㇼ)がドラマ仕立てのフィクションによるイオマンテだったのに対し、新作では現代アイヌのドキュメンタリーと、着実に現代に生きるアイヌの姿を描いてくれてます。
触れてはいけない現実問題として、過去のアイヌがどうとか、先住民族か否かとか、利権がどうとか、歴史認識や思想的にこれほど複雑に差別されつづけ、なかなか映画として描くことが難しかったのではないかと思うが、やはり福永監督ならではの視点が功をなす撮り方の映画だった。

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奇をてらって、アイヌという言葉が一人歩きするような、差別したりカリスマ化して特別視するようなことも一切せず。
気負いなく、何気ない日常の中で、淡々と描かれる親子や仲間の暮らしの中に、アイヌプリがしっかりと根付いてる。

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アイヌプリというタイトルを監督がどのように意図したかわからないが、映画パンフでもアイヌ式と訳されてる。
プリは流儀とか風習とか生き方みたいな意味で、アイヌは民族を指す前に人間という意味がある。
この映画からもっとも感じられるテーマであり、一本筋の通ったメッセージが、まさにアイヌらしい生き方、人間らしい生き方っていうことに尽きる。
和人の中にも、わたしもそうであるように、自らのルーツやアイデンティティを求め、地元の失われゆく伝統文化をどうにか維持しようとか、復活させようとか、日々の日常の中で模索してたり。
それが義務だったりやらされるのではなく、そうすることが楽しいからやるだけで、それと同じことだと思った。

昔っから映画好きで邦画より洋画、音楽も洋楽みたいなところがあって、でも好きな日本映画や音楽もある。
たいていドキュメンタリーか、設定が現代だろうと未来だろうと日本の伝統に根ざしたものが多い。
だから、なんで沖縄映画みたいに、ドキュメンタリー以外で役者が日本人でなくアイヌを起用した普通のメジャーなアイヌ映画が無いのか不思議でたまらなかった。
こんなこというと恥ずかしいけど、もし誰も作らないないなら、いつか自分が映画を作るならアイヌ映画だと思ってたくらいに。
まぁ、自分の頭の中だけで何を思おうが勝手だからいいとして、福永監督が現れたことは本当に嬉しかったし、二作品とも、とても共感できるんです。

この映画館には初めて来たけど、次はデヴィッドボウイもデリカテッセンも1月10日から公開なんで、また行かないと!

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ビジョンとマジック #バグダッドカフェ 4Kレストア版

 

バグダッドカフェ4Kレストア版を名古屋の初日(伏見ミリオン座)で観ることができました。

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35年前っていうから、学生時代。
スクリーンでの再会は、そんなに時が経ったとは思えないほど心がときめく。
高校時代から映画館に入り浸るようになり、それくらい大好きな映画として5本の指の1本で、ビデオはもちろんレーザーディスクにDVDが出る度買い直して、いつも身近に居て欲しい映画だったから、この歳になって再び映画館で鑑賞(人が作った芸術作品)、いや観賞(大自然の美しい風景)できることはこの上ない幸せなのでした。

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やはり、若い頃や今までと違った部分に目が行き、どこを切り取ってもいい場面なんだけど、今の自分にストレートに突き刺さるシーンを改めて堪能することができた。
ビジョン。
二つの光り。
ここがめちゃめちゃ胸騒ぎする。
何でも無い主人公とまわりの配役それぞれがいい味出してるんだよなぁ。
すごい俳優とか、飛び抜けた才能の役じゃない普通の人たちが、淡々とその冴えない日常に文句言いながらも、実は人と人のつながりの中で美しく生かされている。
お互い亭主を捨てたジャスミン(ヤスミン)とブレンダ。
そんなことは露知らず、人種も生まれも育ちも性格もまったく正反対の二人が、客の旅行者と店の経営者という立場で出会ってしまう。
なんと必然な出来事だろう。
そこには不思議なキャラの同居人があちこちに居て、それぞれが趣味の世界を楽しみながらここでの生活を愛し、実に活き活きと家族のように暮らしてる。
この地に立ってジャスミンが見た不思議な二つの光りと、画家の描いた二つの光りが、すべてを物語っているように感じる。
輝かしい希望とか、とにかく何かわからないけど、そこにはビジョンがある。
二つの偽の太陽であれば、幻日なんだろうけど、真ん中にホンモノの太陽が無いから、光学現象ではない。
画家が、宇宙エネルギーの何万もの鏡が太陽の光を反射させると語ったように、まさに啓示としてのビジョンだ。
それは相反するもの同士のはずのジャスミンとブレンダが出会うことで、最初は衝突しながらも、徐々に受け入れることで生まれたハーモニーというか相乗効果が、この店を瞬く間に魅力的な空間に生まれ変わらせた。
バグダッドのセンターとして、トラック運転手が心から休める店として大繁盛する。
旅行カバンに入っていた手品セットが功をなしたジャスミンの手品の腕もすごいけど、魂を震わすブレンダの歌声がまた素晴らしくいいのだ。
あの重苦しい演奏だった息子のピアノまで、そのときから名ジャズピアニストに生まれ変わったのだから。
まさに、マジックだ。

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もう一つのビジョンとして、あの二つの光りは、やはり男と女ということか。
亭主を捨てたブレンダは本当は寂しかったから、エンディングで戻ってきて抱き合う。
一方、ジャスミンの亭主はあれからどうなったか、ドイツに帰国してまた一人で再入国して戻り、なんと画家と結婚して永住権まで得る。
本当に、どっちもよかった。
映像エフェクト処理されたオレンジ色の世界で、渇いたモハヴェ砂漠のハイウェイに溶け込むサウンドトラックがずっと永遠耳から離れないコーリングユーとか、80年代カルチャーとしてとても話題となった映画だけど。
そういう表面的な心地よさの下に幾重にも敷かれた、何でも無いような日常の一つ一つが実は素晴らしい可能性を秘めていて、いくら反発しようと心さえ動けば、自分の意思とは関係なく、一度動き出したら止まらない、思いもよらぬ方向へ導いてくれる。

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そんなビジョンマジックという魅力的な世界が観るものに感動を与え、映画館を出た後に自分の中へ落とし込んでいける。
そんな映画なんだと、何度も観ていながら改めて感じました。

 

 

 

 

 

#沖縄久高島のイザイホー に完全に打ちのめされた

 

イザイホーについては様々な想いがあるわたしとしても、この映像に出会えたチャンスを与えてくれたカミさまに感謝したい。
岡田一男監督と、この16ミリフィルムでの1979年の作品、沖縄久高島のイザイホーを今まで知らずにいたのだから。
それが40年以上経ってデジタルリメイクされ、しかも昨日、名古屋で上映の情報をキャッチ。
しかも、この冬至祭のある旧暦十一月(今現在)に、地元の古い祭祀にも関わってて身体も心も魂も同じような時空に居る中で。
この映像を地元映画館で観れ、しかも初日の監督舞台挨拶まで、その後に直接お話まできくことができた。

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今日は朝から、地元の冬至祭の準備をしていた流れで移動し、そのまま真っ暗な映画館のシートに座ったのだ。
わたしは、記録映像として客観的に観れないくらい、30年近く前に訪れた旧正月の久高島の時空を思い出しながら、あたかも現場に居るようなつもりで魅入った。
ナレーションもいいし、字幕でさらに素晴らしい情報が流れてきたのだが。
解説としてとても勉強になるけど、それを追いかけると集中できないので適当に聞き流した。
今まで見てきたイザイホーの映像が表面的だったのか、丁寧に大切な儀礼のひとつひとつをとらえて、意味のある編集が効いている。
リアルタイムの1990年というチャンスに行きたかったイザイホーは中止。
祭りの現場に立ち会えなかったわたしが久高島へ行ったのはその3年後。
その後も比嘉康雄の写真集から長らく影響を受けていた。
現場でないと何もわからない。
それが祭りだと思うけど、この映画では何かを確実に感じることができたのはなぜなんだろう。

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終了後の待合ロビーで岡田監督と語り合える貴重な時間をいただけた。
当時のイザイホーを経験した方はもうすでに3名しか残ってない。
この記録映像が、いつかの復活に必ず役立つだろうと。
今作は当時のリメイク版だけど、もう一作の沖縄久高島のイラブーは当時の貴重な映像プラス、そこで記録に残せなかった部分を新たに取材したという現在の映像を織り交ぜ、イザイホーと深く関わるこの伝統文化の映像もぜひ合わせて見てほしいと。
それから、イザイホーの4日目の儀礼がとても重要で、映画では時間の関係でほとんど省略されてると。
それくらいまだまだ記録映像がたくさん残ってて、その4日目だけで次は1本の映画にしたいと仰った。
さらに、いつかすべてをまとめた完全版も作りたいと。
それまではなんとか生きてるだろうと。
いやいや、生きててくださいよ、絶対観たいし、監督じゃ無きゃできない仕事なんだからお願いしますよ。
と、たのんでおきました。
岡田監督、36歳の時の作品が40年以上経ってその全記録をデジタルアーカイブ化に成功したんだから、なんとしても、ゆたさるぐとぅうにげぇさびら(よろしくお願い申し上げます)。

 

 

 

 

 

越後奥三面「山に生かされた日々」はタイトル通りの内容でした

昭和が終わる頃、つまり80年代のはじまり。
岐阜に住んでるわたしがまだTOKIOの東京に憧れYMOに夢中だった中学生の頃、東北の見ず知らずの山奥では縄文さながらの素晴らしい山の文化を継承して暮らしてる人たちがいたんだ。
奥三面
おくさんめんと読んでたけど、おくみおもてと 山に生かされた日々 はタイトル通りの内容でした読む。
このタイトルは民俗学に興味を持ったここ最近知った記録映画作家の姫田さんの作品名で、マタギのような映像の一部を見て頭から離れなかった。
映画をいつか観たいとおもいつつも、自主上映でなかなか観れない。
それが今年、デジタルリマスターで映画館での上映となった。

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40年も前の話だが、この時代にリバイバル上映する意味はとても奥深い。
ナレーションが、記録映像を見ながら語りかける自然な感じがいい。
昨今の映画もテレビも字幕スーパーで音声を拾うけど、まったく字幕なしで淡々と東北訛りの古老が話してる、その臨場感が生々しくて聴き取れないけど伝わってくる。
大自然の、しかも寒くて雪深い印象の山奥で、さぞかし不自由な暮らしは大変だろうな、という先入観があった中学生の頃。
本当は、何も生み出せない都市が地方の豊かさを搾取して成り立ってるだけで、過疎化してるような田舎ほど本当は豊かだったんだよね。
山の幸、山の恵みがあるからこそ、狼も、熊やカモシカや野ウサギなどたくさんの生き物がその恩恵を受け取って生きてる。
山は命を生み出し育む場所であり、山岳信仰では死んだらそこに還る場所でもある。
今ではわたしも岐阜周辺に未だに残ってる民俗や祭りを丹念に追ってるので、これぞ人間らしい暮らしで特別なことでもなんでもなく、山の神や虫送りなど様々な民間行事など共通する部分を多く発見することが出来た。
何しろ、時代が半世紀近く前だし、かなりマニアックで貴重なものを見せていただいてる感じに圧倒される。
作為のないドキュメンタリーで、目の前に起きてる様々なこと。
映像をつくる側と、普段の暮らしをしている奥三面の人々。
最初は長閑で、民俗満載の記録なだけとも受け取れたけど、一年を通した季節の行事や暮らしの流れを追いながら4年通った撮影期間で、もしかしたらダムに沈むという非現実的な話がだんだん現実的な話となり、山の生活に対する想いがより一層愛着を感じ、それゆえ複雑な心境となっていくのが、見てるわたしも胸がキュンキュンしてくる。
焼き畑や山菜採り、熊狩りにも同行。
大木を伐って、真冬の山の中で数人であっという間に丸木舟を作って川を下るまで雪の中を引き摺るシーンは魂が震えるほどすごいものを感じたが、撮影スタッフですら思いがけない出来事だったんじゃないかな。
あのマタギの衣装も、そんな思いに駆られて古い衣装を引っ張り出してきて山に入るラストシーンあたり。
もうわたしの心もクライマックスになりました。
映画の内容も、時代も場所も違うけど、岐阜の徳山ダムに沈んだ徳山村のドキュメンタリー「水になった村」とかなりオーバーラップした。
それから、リバイバル上映で新しく作られたであろうパンフレットが秀逸。
字幕なしで雰囲気で見てた内容も詳しく書かれてたり、写真や手描きイラスト入りで民俗学の資料としても貴重な内容。

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ぜひ映画とセットで!

 

 

 

 

 

散々闇を経験したから最後の希望で抱き参らせる #ラストホープ #LASTHOPE

父はワクチン後遺症で接種後からあらゆる症状に悩まされ、身体が思うように動かずイライラしたり、生きる気力まで奪い取られてギリギリの生死を彷徨っていましたが、徐々に回復傾向。
その間、未接種だったわたしたち家族も振り回され、元気だった母が心労や不安感から倒れてしまい、この週末も予定もなにも読めない状況。
ワクチンを口にすれば周囲からはまったく認められず、ただ本人のやる気とか、気力がないからと、理解してくれたり相談できる人は皆無。
実家に通いながら、平日には市の窓口に行って相談したり信頼できるお医者さんと会ったり、少しでもこのことを表に出し声を上げていきながら、生きてるあいだに親孝行したい。
そんな最中に、今日は名古屋で白鳥監督のラストホープの上映会と講演会。
映画に出演した、高橋徳先生と、2年前にもやったメイコちゃんも来る。
そのときこそ、家族に何としてもワクチン打たせない一心で話をきいてたのに。
徳先生から、その後の最新情報を詳しくきくのも今回の目的。
とにかくこの映画は公開当時に観たかったのに、年末のスコーレには行くタイミングがなく見逃したので、この1日限りのイベントはどうしても行きたかった。
両親の様子次第であきらめかけてましたが、岐阜の実家で寝泊まりしたまま、予約なしで昼には会場となる今池ガスビルへ向かいました。

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で、てっきりパンデミックのコロナ騒動とワクチン後遺症に深く切り込んだドキュメンタリー映画だと思ってましたが、違いました。
いい意味で裏切られた。
すごくびっくりする素晴らしい展開にもう目も頭も心も釘付け。
この手の話題が映画になることすら貴重なのに、そこまでいっちゃっていいのかってくらい、パンデミック、いなプランデミックに至るその正体を丁寧に丁寧にたどっていき、3000年前の歴史から紐解いていく。

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わたしもそこに到達するまで誰に教わるでもなく、自分が気になるおかしいと思うことはジャンルにこだわらずその筋の専門家の調べた複数の情報をピックアップし、自分なりの決めつけないグレーな見解を持つようにしている。
闇は深いからどこから手を付けていいやらですが、あのことはどうなってる?このことはこういうことじゃないのか?って、まったく別方向で関連無く次々出てきて、それをまとめる気などさらさらなく、興味のあるキーワードやテーマを手当たり次第調べまくる。
それらがいずれ役に立つのだけど。
調べる時期も、数年前に心に留めておいたことが、まったく違うことで調べてると突然芋づる式につながって、だんだんひとつのまとまりになって見えてくるときがある。
まだ確証できない部分があるのでだれにも話さないけど、わたしの心の中では全体像がはっきりと見えてる。
そんな映像とストーリーが、目の前のスクリーンにはっきりと映し出され、映画となって上映されてることに驚いた。
まったく同じというと白鳥監督に失礼だけど、ほぼほぼわたしのたどり着いた脳味噌の映像と同じだったのだ。
あっ、それでいいんだ。
えっ、これっていいきっちゃっていいんだ、と。

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映画だから時間内に見せないといけないから、端折った部分、たくさんあると思う。
今まで自分で調べたことで広がりを持って展開することもできるし、この映画でさらに深く知ることができた部分もあるし、もやっとしてたところが確信に変わったところもありすごく嬉しかったし、勇気がわいてくるというか共感そのものの世界観だった。
それは、ワクチンを切り口にしつつ、その理不尽な世界を次々に展開しながらも、けして同じ土俵で戦わないこと。
事実は事実としてしっかり受け入れること。
原発事故でも何でもそうだけど、事前に自分で情報を取りに行って、それを止める努力をしてもダメだったらそれはそれで運命だし、与えられた情報のまま何もしてないなら自分も共犯者だし、ことが起きてから大騒ぎしても手遅れ。
その部分だけフォーカスすると、分断して争いが起き、相手の思う壺にはまるだけ。
それすら受け入れ、抱き参らせる。
まずは知ること。
相手が何であるか知らないで、振り回されて生きるのは時間の無駄なだけでなく、ガイアである地球生命体すべてに影響をおよぼす大問題となってしまえば元も子もない。
知ってしまえば事前に回避したり対処する方法もあるし、そういう悪の役回りをさせられてるだけなので、敵対すれば永遠に戦争の火種となるだけ。
すべては抱き参らせる大調和しかない。
だから、ラストホープ
ヤップ遺伝子の縄文を受け継いだわたしたち。
そういうメッセージなのだ、白鳥監督の映画は。
だから好き。
スピリチャルは苦手だけど、この監督の映画は何個か観てるけどみんないい。
観る度に、度肝抜かれて感動する。
以前、スコーレで舞台挨拶は見たことあるけど、今日は満席の大ホールの舞台上。
ジェスチャーしながら軽快に語る監督の姿は、普通ならこっちが恥ずかしくなるくらい、新興宗教かって言う人がいるかもしれないけど、めちゃくちゃ心に響く、めちゃめちゃいい人柄が滲み出てて好感が持てた。
そんな姿とお話しをきいたあとに、映画上映だったからなおさら、映画の中に深く入ることができた。

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無理して来ないようにと思ってたけど、無理してでも来てよかった!

 

 

 

 

 

尾張のハグリだった柳津の聖徳太子寺と穴太部古天神

境川の北側にある茜部の長森縣神社から、境川を越えて南側、その昔は尾張葉栗だった柳津の地へ。
そこで聖徳太子にまつわる伝承地を辿る。

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光澤寺は、6世紀に聖徳太子が創建した太子寺。
その鎮守として、境内に穴太部(あなほべ)神社を創建したと。
つまり、穴太部天神を祀る式内社尾張国葉栗郡の穴太部神社のことだ。

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ここがその有力な論社として、祭神として古天神の天穂日を祀ってること、聖徳太子が由来となってることから極めて説得力がある。
式内論社のもうひとつは、木曽川下流へ南下した一宮の玉ノ井にある賀茂神社だ。
地名に穴太部があるくらいで、こちらの由来は薄っぺらく祭神からも消えている。
強いていえば、先に述べたように木曽川の流路変更により一時的に玉ノ井へ遷座していた時代があったかもしれないということだ。

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ではこの気になる名前、穴太部(あなほべ)とは何か。
聖徳太子の母の名が、蘇我の血が入った穴穂部間人(あなほべのはしひと)なので、そういうことだろう。
近江の高穴穂宮は、日本書紀には景行〜成務〜仲哀天皇の三代の皇居として伝わっているが、もっと遡った時代。
聖徳太子と穴穂部間人の一族は、近江の大津穴太(あのう)に高穴穂宮をつくり、離宮として住んで居た可能性があるのだ。
そこから、有名な近江の石工集団、穴太衆(あのうしゅう)が出ているが、そういうことだ。
当時の聖徳太子が実際に美濃の柳津(当時は尾張の葉栗)に来たかどうか。
ここは東山道だからその可用性はじゅうぶんにある。
では、その目的は何であったのかだ。
東国や美濃に蘇我氏聖徳太子の荘園があることから母系のルーツがあると踏んでいる。
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聖徳山 光澤寺
岐阜県岐阜市柳津町本郷2丁目17
https://maps.app.goo.gl/Va1AUbefXJ8nmRiJA

以下、聖徳山光澤寺 由緒の石碑より
当寺は、聖徳山一城院川並光澤寺と称し、真宗大谷派に属している。
寺伝によれば、聖徳太子の創建と伝えられる。推古天皇六年(五九八)聖徳太子二十五歳の時、第五の后(蘇我馬子の娘)が懐妊され、その安産祈願の為、当寺を建立された。その時生まれられたのが、山背大兄皇子である。
太子建立の四十八の寺院のうち、第三十八番にあたる。
その当時は、太子寺(たいしじ)と称した。
その後、平安時代天台宗の寺院となり、耀仁寺(ようにんじ)と称した。
鎌倉時代、柳津源太有光(源頼親の孫)、柳津三郎光重が当地に住まいし、往持も務めていた。嘉禎元年(一二三五)四月、親鸞聖人が関東より京都へ向かわれる時、当寺に三日間逗留され、光重は御化導をうけ、弟子となり、浄土真宗に改宗した。寺号も光琳坊(こうりんぼう)と改めた。その時、当寺は、柳津地内、字一ケ城にあった。光重は、法名を信光といい、文永二年(一二六五)入寂。以来連綿と法灯を伝え、現在二十八世となる。
天正二年(一五七四)正月、織田信長に堂宇を焼き払われる。
慶長十一年(一六〇六)、現在地へ移転再建される。
文三年(一六六三)、光琳坊を改め、光澤寺と称する。

以下、柳津城趾の案内板より
戦国時代には、木曽川の本流は今の境川あたりを流れ、要所には大小の城がありました。
その当時、ここに柳津城があったといわれています。旧柳津村には一ケ城・七ケ城という字名があり、ここには柳津城の出城や砦があったと思われます。
柳津城主は竹腰摂津守といわれていますが、一五五六年(弘治二年)長良川の合戦で戦死し、その後、叔父の成吉摂津守が城主になりました。成吉摂津守は斎藤義龍の武将さらには龍興の重臣として仕えていました。
当時、尾張国であった柳津まで美濃の勢力が及んでいたようです。

 

柳津 天神神社
岐阜県岐阜市柳津町北塚2丁目27-2
https://maps.app.goo.gl/VefbZFGpNEctfdyRA

以下、金幣社 天神神社由緒の石碑より
祭神:
古天神(天穂日命
菅原道真
由緒:
元穴太部神社は光沢寺の前身である太子寺の鎮守として聖徳太子の頃創建されたと伝えられ、千年以上の昔から葉栗郡一五座の筆頭神社として崇拝されていた、江戸時代までは光沢寺の管理であったが、明治元年神仏分離により総氏子の手に移った。
元北天神社は清和天皇の皇子貞純親王の子孫源頼定が緒国武者修行に出てこの地に移り住み、加賀の武士戸田越後守に武道を教えたお礼として戸田家の什宝、沈水香木(白檀)を貰い受け、日頃厚く信仰須する学徳高い道真公の像六体を彫刻し、弘治3年(1557)2月25日六社を建立した内の一社である。
元中天神の鎮座地は柳津村字中宮東であって尾張地名考によれば北天神と共に厚く崇敬された神社である。
昭和20年7月5日 右三社を現在地に合祀し、昭和29年5月神社名を天神神社と改称した。

 

 

 

 

 

fuhgetsu.hatenablog.com

境川=美濃尾張の茜部に長森の縣大明神を遷す

長森の縣の社を遷す。
それがどうした、となるかもしれませんが。
その場所は、木曽川の旧本流だった境川沿いにある茜部神社のすぐ西隣にある。

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そこからすぐ北に式内社比奈守神社があるが、その論社は遠く離れた長森の手力雄神社
同じ神社が二つあるはずはないという常識が通じない、この地域ではあり得る文化なので、現在目の前に見える風景からは忘れ去られるか気にもとめられない、考えただけではただの謎に包まれてしまうことでしょう。
それくらい長森という土地に絞って歴史を掘り下げても見えにくくなってるからこそ、遠く離れた茜部に偏在する意味を重く受け止めている。

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ここへ来るのは二度目だが。
長森の縣大明神は、日子坐(ヒコヰマス)王だ。
そう直感した。
イニシキイリヒコと物部の金華山南麓にある長森の実家と、木曽川を挟んだ自宅を往き来する中で、県庁近くへ用事がありたまたま通りかかり、呼ばれるようにまたここへ来ることができた。

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古代東山道鎌倉街道中山道、鮎鮨街道、と様々な道が交差する交通の要衝となった川文明。
ここが美濃尾張
現在、岐阜愛知を隔てる県境が木曽川となってるけど、江戸時代までは岐南より北の境川が本流で、美濃尾張を隔てていた。
尾張の中嶋(尾張古図にある中之島)と葉栗(縄文語のハグリ)が、江戸時代に最後の大洪水で本流が南下。
中島と羽栗の一部が美濃側の領土となり、その後の合併で羽島地名が生まれ、岐南笠松羽島郡だったことからわかるように、もともとは尾張の領土だった。
式内社などの古い神社は、境川から北にあれば美濃国厚見郡、南なら尾張国葉栗郡と覚えるといい。
現在の境川から木曽川までの南北間は、固定されないまま本流の位置が流動するエリア。
それこそが、ハグリという縄文語の意味なのかもしれない。
だからこそ、屋根の軒下に船をぶら下げ、半定住の生活様式で水没による集落の大移動が度々起こり、常に歴史を動かすような固定化されない神社の遷座がくり返されたことは、必然であり、想像に難くない。

 

縣神社 (あがたじんじゃ)
主祭神:県大明神(あがただいみょうじん)

住所:
岐阜県岐阜市茜部野瀬3丁目249番地
https://maps.app.goo.gl/W9wjRbrGcnMZmVXe7

由緒由来:
永和元年六月一日鎮座。永和元年六月朔日長森縣の社を遷す。伝記に曰く、縣大明神は武内宿禰十四世苗裔参議左大辨紀家守は延暦三年美濃に任國の時、征夷大将軍多治比縣守の孫大内紀縣則の子を猶子と為て検校太夫紀縣守と曰ふ。美濃國に住す。貞観十五年八月十五日卒す。壽百八歳。其の後平治年中渋谷金王丸之を崇め縣大明神と号す。葉栗郡中島郷に縣神社あり。

縣神社詳細 - 岐阜県神社庁
http://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=985&shrname=%25E2%2598%2585%25E7%25B8%25A3%25E7%25A5%259E%25E7%25A4%25BE%25E2%2598%2585

 

 

 

 

 

fuhgetsu.hatenablog.com

タイトゥンアップの原曲/酒飲め坂本、改め、坂本ソッコーでやれ!

こちらは、Archie Bell & The Drells の Tighten Up 原曲(1968年)です!

タイトン・アップ  アーチーベル & ザ・ドレルズ
https://youtu.be/TedcoUJ2d3M


www.youtube.com

つづけてカバーをよくお聴きください。
ちなみにここんとこ…

タイトゥンナァッ高橋♪
酒飲め、坂本♪

じゃないよ!

Tighten up, Takahashi!
Sock it to me, Sakamoto!
Hurry up with the bass, Papa-san!

Yellow Magic Orchestra - Tighten Up (Japanese Gentlemen Stand Up Please!)(1980)
https://youtu.be/wijrWMd9wvQ


www.youtube.com

さらにリミックスバージョンでどうぞ!

Tighten Up - Extended Dance Mix 2020 -
https://youtu.be/76Hrlc1kkdI


www.youtube.com

 

高橋、締め上げろ!
坂本、ソッコーでやれ!
パパさん、ベース早くして!

 

 

 

 

 

そんなわけで春分ですね

地球は太陽のまわりを1年かけて公転。
公転軌道している円の長さは9億4000万kmです。
では、ググるのでなく、ここで苦手な計算をちゃんとしておきましょう。
940,000,000 ÷ 365 = 2,575,342.4657534247
つまり1日に260万km進み、これを24で割って時速にすると、
2,575,342.4657534247 ÷ 24 = 107,305.9360730594
公転スピードは時速11万kmですが、さらに実感する距離感で秒速に換算すると1秒間に30kmも進んでるということです。
ちなみに、太陽が天の川銀河の中心を1周する太陽の公転スピードは秒速220km。
その天の川は秒速600kmで…

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次に、地球は1日に1回転してますよね。
地球1周の距離は4万km。
それを24時間で回転してるので、40,000 ÷ 24 = 1,666.666…
つまり、地球の自転スピードは時速1,700kmで、秒速でいうと460mも進んでることになります。

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が、しかし。
それは赤道直下での話なので、要注意。
日本辺りの緯度で、時速1,400kmとなります。
地軸の両端、極地の南極点と北極点は時速0kmです。

もうちょっと緩んだ頭を混乱させてみましょう。

北極点に立つと、どこを向いても南を向いていることになります。
また、南極点に立つとどこを向いても北を向いていることになります。
太陽が昇ったり沈んだりせず、西も東もない地点がある、ということです。

また、赤道上では万有引力が遠心力によって最も弱められるため、重力は最小となります。
一方、北極点や南極点は回転しないので遠心力が0で、重力は最大となります。

なんと同じ地球の上で、北半球でいえば北方の人たちと赤道辺りの南方に人たち、またその中間のわたしたちで、起きていることが違う。
その逆が南半球にもあって、そういう影響をそれぞれが受けているということです。

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といっても、最後の部分は太陽系の惑星での僅かな差異であり、宇宙全体から見ればっていう話に戻しますよ。
とにかく、わたしたちはものすごいスピードでこの宇宙空間を移動しつづけてるわけで、昨日のわたしと今日のわたしはもう別人なくらい、違う場所、いや宇宙空間を旅してきました。
とてもやばいですね、これは。
こんなこと時々考えたりもしますが、普段は鈍感すぎてまったく気づきません。
古代人とか縄文人とか、ムーやレムリアなんて、もうすでに宇宙人でしょ。

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陰陽和合の大調和 みとのまぐわひ

みとのまぐわひ

今やタブー視される性交ですが、日本書紀古事記にはこの言葉がちゃんと書いてございます。
おおらかだったこの国では、イザナミイザナギの二神がどのように行ったのか、それも具体的に記されているのです。
まぐわい、と、みと、の二つの言葉からなる。
最初にこの言葉を知ったときには、みとって何だろうと思ってました。
まぐわうは、調べるまでもなくわかりますが。
目合うとも書き、目が合うことが語源のようですが、交わり合う交合、つまり性交の意であり、みとのまぐわいで婚姻の意となります。

古事記では美斗能麻具波比(みとのまぐわひ) と書きます。
この美斗(みと)について調べたとき、あまりにも多くの説があり惑わされました。
御所(みと)のことで、御寝所、つまり寝床を意味するとか、美という美称に対する斗(と)に関しては入口とか、いかにもそれらしい事柄が書いてあり、広辞苑ですら陰部と書いてあるから、古語辞典は女性器、隠語辞典ではまんこの古語であるとまで書かれる始末。
古事記は訓読みで漢字に意味が無いのに、あれこれ妄想しすぎ、飛躍しすぎで、この有り様。

日本書紀では遘合爲夫婦(みとのまぐわい)と、ちゃんと書いてあるではないか。
漢文だから、夫婦(みと)と遘合(まぐわい)が逆順になってるけど。
みとは、めおとの夫婦のことでいいのでは。
よって、みとのまぐわい=夫婦の性交で、婚姻を意味する、と。
そんなに難しく考える必要はないよね。
みとのまぐわいは、女性性と男性性が陰陽和合するという宇宙の大調和なんだから。


とにかく、こおろこおろのオノマトペで表現されるような、ぐっとくるシーンが連続する国生み神話から神生みへの展開が尊くて美しく、記紀神話の中で一番好きな部分です。