月音(つきのね)∞風音(カヂヌウトゥ)

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陰陽和合の大調和 みとのまぐわひ

みとのまぐわひ

今やタブー視される性交ですが、日本書紀古事記にはこの言葉がちゃんと書いてございます。
おおらかだったこの国では、イザナミイザナギの二神がどのように行ったのか、それも具体的に記されているのです。
まぐわい、と、みと、の二つの言葉からなる。
最初にこの言葉を知ったときには、みとって何だろうと思ってました。
まぐわうは、調べるまでもなくわかりますが。
目合うとも書き、目が合うことが語源のようですが、交わり合う交合、つまり性交の意であり、みとのまぐわいで婚姻の意となります。

古事記では美斗能麻具波比(みとのまぐわひ) と書きます。
この美斗(みと)について調べたとき、あまりにも多くの説があり惑わされました。
御所(みと)のことで、御寝所、つまり寝床を意味するとか、美という美称に対する斗(と)に関しては入口とか、いかにもそれらしい事柄が書いてあり、広辞苑ですら陰部と書いてあるから、古語辞典は女性器、隠語辞典ではまんこの古語であるとまで書かれる始末。
古事記は訓読みで漢字に意味が無いのに、あれこれ妄想しすぎ、飛躍しすぎで、この有り様。

日本書紀では遘合爲夫婦(みとのまぐわい)と、ちゃんと書いてあるではないか。
漢文だから、夫婦(みと)と遘合(まぐわい)が逆順になってるけど。
みとは、めおとの夫婦のことでいいのでは。
よって、みとのまぐわい=夫婦の性交で、婚姻を意味する、と。
そんなに難しく考える必要はないよね。
みとのまぐわいは、女性性と男性性が陰陽和合するという宇宙の大調和なんだから。


とにかく、こおろこおろのオノマトペで表現されるような、ぐっとくるシーンが連続する国生み神話から神生みへの展開が尊くて美しく、記紀神話の中で一番好きな部分です。

 

 

 

 

 

甲野善紀と山元加津子の出逢いとわたしという宇宙の大いなる気づき

朝日遺跡パレススタイル土器のつづきがあります。
日曜はわたしにとって二大巨匠の講演会という二本立て。
たまたま同日に、しかも車で10分しか離れてない距離で、片方の終了時間と次の開始時間の差が30分という、これはどちらも参加しなさいという流れだったので、分刻みでタレント並の移動となった。
というわけで、北條芳隆氏がいる清洲市民センターから、甲野善紀氏がいる平田寺へ。
なんと豪華な流れ。
意図してできるものではございません。
天からの授かりものとしか。

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まったくジャンルの違うお二方というより、わたしにとってはこれがまたすんなりとどこかでがっつりつながってるような。
考古天文学古武術という違いはあるものの、そのお人柄やモノを観る視点の持ち方からその感性やら、どこか共通項が並んでます。
甲野先生といえば、以前は名古屋で実演メインの道場にも行ったり。
平田寺ではお話会がメインとなる恒例の開催で、チャンスとあらばいつでも行きたいと思いつつ。
もちろん有料ですが、こちらも当日連絡なしで来てもいいときいたので後押しされるかのようにたどり着く。

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今回、話のテーマにかっこちゃん(山元加津子)のことが書かれてたし。
この意外な組合せに、どんな話となるのか気になってたのもある。
マイク無しの小声だから聴き取りにくいところがあっても、それはそういうことだ。
同じ空間にいるだけで伝わってくることがいっぱいある。

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時折、実演も挟みながらの、この贅沢な時間を味わう。
身体の中のエネルギーの流れ。
氣のようなもの。
言葉では簡単だけどいざ実践となるとなかなかできない。
そのコツというか、複雑にしてしまってる身体を、体感としてほぐしながら解除してくれる。

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そのお話しも面白いし、常識に縛られた頭と身体からどうやって離脱するか、非常識の中に極意がいっぱい潜んでて、それを意識してか無意識か、軽々と身をこなす人もいる。
無限の可能性を秘めた宇宙は、自分自身なのだ。

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なんか、具体的な言葉や実演で教えてもらってるんじゃなく、聴き取れなくても、頭でわからなくても、身体が動かなくても、ふとしたきっかけで中に入ってきて、突然こういうことなのかって気づかされるんだよね。
とにかくそういう、すごいお方なんです。

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大好きな甲野先生からは、何かこう具体的なことでなく、いつも全体を教えてもらいながら、自らの大きな気づきをいただいてます。

 

 

 

 

 

考古天文学の4次元から見たパレススタイル土器

土曜は両親の介護関係で一日動き、日曜の昨日は一人単独で遊び回る。
西の吉野ヶ里遺跡に匹敵する同時代の弥生遺跡が近所にある。
清洲朝日遺跡だ。
そこで発掘されたパレススタイル土器の一つに新たな説が浮上し、博物館でなく市民センターで大々的に発表される講演会があるという。

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しかも、考古天文学北條芳隆氏による大発表が。
それも無料で整理券なし、当日に来ればいいと。
直前まで予定入れずの生活だったので、やることやったご褒美に、自分の身体を連れて行ったのでした。

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講演内容はわたしにとって何ら難しいものでなく興味津々のオンパレードとなるプロジェクターと解説で、北條先生の話し方は丁寧でわかりやすく、心地よくすんなり入ってくるんだけど、その内容は鋭い視点と抜かりない考察による結論で、すでに推論を超えた実証済みの答えなのだ。
異論など挟む余地もない。
そこがすごいところ。

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たとえばわたしなんかが、言葉で残されてない古代遺跡から何かを感じたとする。
そのとき、そう思う、という直感だけでは、下手な知識が頭をよぎって邪魔をした単なる勘違いの場合であっても、それが実は間違ってるということに気づくのに相当時間がかかったりする。
だからあんまり本読んだり勉強しないようにしてるんだけど。
例えば、春分秋分の日出が猿投山に向いてたら、もうそれしかないと決めつけ、他の視点は見なくなり、多少ズレが生じても許容範にしてしまいがち。
その誘惑から一旦距離を置き、なぜずれが生じるのかを視点を変えて総点検し、さらなる可能性を搾っていく中で流れが大きく変わることもあるし、他に可能性がないなら最初の直感に従ってそこに落ち着くこともあるでしょう。
今回の話は、赤塚さんと白川さんによる論証がベースにあり、北條さんがさらに固めてまとめあげたような素晴らしいチームワークを魅せていただきました。

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そして、長い氷河期が終わり縄文海進の温暖化や弥生の寒冷化は有名だけど、実は弥生時代にも安定した気候の時代が中期まであり、後期から急激な気候変動が起き寒冷化、その最中にこの土地でパレススタイル壺が作られたのだと、そういう生活スタイルや精神世界まで変わる激変の時代に、太陽と月に希望を託して暦を読み、祭りをしたであろうという見解にも涙が出るほど感動。
さらに、八日市地方遺跡の弥生人の鹿の見立てがすごかった。
鹿で暦を表現ってもうアートの世界だし、その絵解きの理解力もきいてて驚きの連続で流石すぎます。
とにかく、以前に吉野ヶ里では冬至満月という発想に切り替えると北内郭の軸線にピタリと嵌まった話をきいていたので、今回の話もすんなりなるほどとなったのでした。

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古代は太陽という決めつけより、水稲農耕がはじまった弥生時代には、同時に入ってきたであろう太陰太陽暦として、太陽と月という視点が重要となる。
先日投稿した小正月の話も、元を辿ればこの冬至満月の祭りに行き着くと思ってます。

https://x.com/fuhgetsu/status/1761067935043567862

そしてまた、北條さんがこの朝日遺跡のきっかけとなったのが貝輪だったこと。
赤椀の世直しの、ゴホウラだ。
赤椀とは、つまり、尾張のパレススタイル土器のことだ。
それで、冬至満月の吉野ヶ里と、朝日遺跡は暦でもつながっていたであろうと。
このパレススタイル壺の謎解きはこれですべて解決したわけでなく、実際にどっちの向きで埋まってたかも検証しないといけないし。
赤い弁柄(ベンガラ)の塗料はわかってるけど、それが金生山で採れたてものだとベストだとわかったけど、初の発見となる黒丸の塗料が何であるか。
わたしは天然アスファルトのコールタールとか、漆黒なんじゃないかと思ったけど、専門家が4人並んでもわからない状況でした。
重文となる前に、ぜひ分析していただきその結果を待つしかない。

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そして、最後に自論ですが。
パレススタイルと名づけられた赤彩土器。
いずれにしても、古代において死生観の聖なる色としての朱や赤という特別な意味を感じます。
土器や壺という形状からも、このカタチには母なる大地の子宮という意味もあるだろうし。
そこにしるされた紋様が暦であるだけでなく、縄文由来の宇宙哲学1のまわりの12と、その収束と拡散エネルギーの陰陽を現しているシンボルとも受け取れますね。

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楽しいことは、どんだけ考えても終わりません。
岐阜でこれまで関わってきた、金山巨石群朝鳥明神冬至とも深く関わる考古天文学の世界。
恵那蛭川での新たな巨石群での調査もこれからだし、とにかくまだまだ楽しみがいっぱいすぎて困ります。

 

 

 

 

 

ゴジラマイナスツーがある予感

遅ればせながら、カミさんリクエストに便乗し、こちらをレイトショーで観てまいりやした。

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名作ばかりで、たまには息抜き。
話題の邦画、しかも実写、海外で評判、期待は禁物ながらこの目で確かめたいのと、好奇心で。
みましたよみました。
たしかにそうでしたが。
まぁ、賛否両論あってもいいでしょう。
いいとこわるいとこあり。
褒めすぎても貶しすぎてもよくない。
これはこれで、映画館でないと味わえない。
そういう意味でも、わたしにとって久々の、邦画がアニメだけでなく実写でも耐えれるクオリティにあることを証明してくれたのだから。
いろいろ矛盾だらけですがそんなこたぁ目を瞑るとして、内容についてはそんな感想にしておきます。
映像については、CGよりこうした特撮映画っぽいVFX円谷プロを彷彿する見応えあり。
音響については、期待以上のものはなくとも、大音量の迫力はあった。
最後にいっこだけ。
なんであいつは二人を連れて逃げなかったの?
あっ、もういっこ。
ラストシーンと、タイトル。
ゴジラ-1.0は、マイナスワンと読むらしい。
これって、-2.0あるね!

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もとい、もうちょっとまともな感想も書いておこう。
結局戦争に負けた劣等感から、やっぱり武力に憧れがあるな、この国は。
そういう面は、設定から読み取れるけど。
それを差し置いても、これはあってるかどうか、監督が狙ってるかどうかわからないけど。
あえて国際的な知名度と国民的アイドルのゴジラを起用して、時期的にこの設定で映画化した理由はやはり、コロナ騒動の中で、国やGHQがあてにならないように、国やWHOがあてにならないなら民間で命を守るというメッセージだったのだなと、深読みかもしれないけど、みててそう思ったよ。

 

 

 

 

 

ひとつの映画という時の流れにシンクロする神秘体験

この日のために、今日は何も予定を入れず、一日二人で過ごしました。
二人で旅した神島にて何かを暗示するかのような神秘体験があり、その翌年に金神社にて結婚し、新婚旅行は久高島へ。
以来、28年の歳月という記念日に。
わたしたちの思春期である学生時代の頃に一生の思い出となる映画を同時体験しており、そのひとつがミツバチのささやきなのだが、そのビクトルエリセ監督の新作瞳をとじてをこの日に観ようとなった。

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内容はよく知らないまま観たけど、当然映画は映画としてよかったことはもちろんのこと。
わたしたち二人にとって、やはりこの監督とアナトレントも、同じ時を経ており、そうした時間的な距離感、同時代体験など、日本とスペインという地理的距離感もゼロで、シンクロしまくったのでした。

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舞台も、わたしたちが局面している高齢者介護施設だったり、親と子の特別な想いや感情、時代の流れ、すべてが重なる。
それをまた、映画を通じて深く体験させられました。

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その後、実家へ寄り、金神社へご挨拶しに。
旧正月以来の初詣として、おみくじもここで初めてひきました。
新しい一年、どうぞよろしくお願いします、と。

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fuhgetsu.hatenablog.com

わけわからん=ストップメイキングセンスな映画をIMAXで観る衝撃

やっぱりいいね。
音楽が人生そのものだった10代でリアル体験してる映画、ストップメイキングセンスを4Kレストアで観てきました。
しかも、IMAXでやってるイオンシネマ各務原で。

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普段行かない映画館だけど、地元の近場でもやるようになって、それが大好きな音楽映画だったから、もう感想も何も最高でした。
80年代の音楽シーン、舞台もアートも映画も何もかも輝いてた時代。
その影響を丸々受けて自分でもいろいろやってました。
トーキングヘッズについても、デヴィッドバーンについても、今更何も語ることはないでしょう。

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40年ぶりの復刻版の前に、ビデオレンタルで何度もみたし、ミュージックビデオの全盛期だったから流し見感覚なところがあったけど、長い時を経て、今この年齢でみるとやはり違った見え方がしてうれしくなる。
字幕も見やすく、戸田奈津子じゃなくてわかりやすくなってるし。

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IMAXは2回目で、前回はデヴィッドボウイの映画を名古屋まで観に行った。
音楽聴くなら断然レコードがいいのと同じで、映画はフィルムが一番いいに決まってるけど、IMAXのレーザーの発色のよさ、重低音の響く全方位からの音響空間がライブ会場の臨場感さながらに体感できるなんて、つくづくいい時代になったなぁと、同い年のカミさんと二人して、久々に映画館のよさを感じた一日となりました。

 

 

 

 

 

ミツバチのように光り輝く子供たちの魂とは

ビクトルエリセ監督。
わたしが10代で出会って、最も敬愛する映画監督の一人。
その衝撃は、この映画、ミツバチのささやきの国内上映をリアルタイムで観た瞬間からだった。

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それ以来、何度観たであろう。
テレビで、ビデオで、レーザーディスクにDVDにブルーレイの時代となっても。
この数年、リバイバル上映があったがチャンスを逃したので、映画館の銀幕で観るのは、80年代以来だから40年ぶりか。

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奥行きのあるフィルムの印象から4Kレストアとなり、時代も変わり、年齢も、考え方も、あらゆることが変わった今、あの頃とまったく変わらない魂で安心して観れる映画などなかなか無いだろう。
これだけ時間が経って変わったことと言えば、映画の時代背景に対する歴史観も知識が多少増えてるし、実際にその後スペインにも行って土地勘もあるし。
なんといってもミツバチに対する愛情がこの映画で増したから養蜂家に憧れ、今ではミツバチの生態や飼育の知識もあって、そういったシーンもガッツリ観てしまうところが、ちょっとだけ進化したかな。

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でも、それらはどうでもよいこと。
この映画の魂は、そこじゃない。
アナイサベル姉妹はかわゆいだけじゃない。
反戦を表に出さずとも、この歪んだ大人の世界を、多感な感性で影響受けながらも魂から変える力が子供たちにはある。
そう、あの神秘的なミツバチのように、静かに、しかし力強くささやくのだ。
この映画がヨーロッパらしい暗い場面が多いけど、それはより光を感じるため、未来に生きる輝かしい子供の存在を際立たせることにつながってる。

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そんな微細な光を感じられるのは映画館じゃないと。
とにかく、映画館で観ることをおすすめすします。

伏見ミリオン座にて。

 

 

 

 

 

fuhgetsu.hatenablog.com

#タルコフスキー の #ノスタルジア を4K修復版で観てきました

やっとこれで2回目。
前回は3年前のシネマテークだったけど、その後ミニシアターとしてお役目を終え現在、新たにナゴヤキネマ・ノイとして再建中。


今回は、パルコの中にあるセンチュリーシネマにて。


タルコフスキーは高校か学生時代に惑星ソラリスを観て、わけがわからず、だけど衝撃的で、美しく、心の奥深くに突き刺さる何物かと対峙させられる。
その後何度も何度も観るはめとなり、スルメのような鑑賞方法には慣れてるけど、この監督の作品にはどこかに確実にヒットするところがあって、大好きな映画監督なのだ。
なのに、他の作品にまで手が出せず、ここ数年でリバイバル上映されたのをきっかけにノスタルジアを観たわけだけど。
当然、まったくわけがわからなかった。
印象的なシーンは記憶され、心に残りやすいけど、そこじゃない。
だけど1回目ではただそれだけ。
観光地でいえば、ただ行っただけの状態だ。


だから冒頭から、あれ?これ観たことないシーンばかりだけど、やっぱり勘違いで今回が初なのか、よほど記憶力のない頭なのか疑った。
でも、中盤から徐々に思い出してきた。
それでちょっと余裕が出て、映画の深部へ入り込もうと、雑念を消してただ観る行為に集中してみた。
4K修復版のパンフが売ってたけど、詳しい内容はどうでもいいので買わないでおく。
地名もわからず、撮影地や映画の舞台が何処なのか、登場人物の名前もはっきり覚えれないうちに映画は終わった。
そんな曖昧な記憶でも重要なのは、自分は何を感じたか、だ。
だからこのあと書くのは曖昧な記憶による印象であって、もし間違えててもそこは各自修正してください。


主人公は詩人のロシア人男性。
霧がかった景色の、イタリアの何処か田舎にある温泉街。
そこにモスクワから来たロシア人が取材のため、通訳のイタリア人女性と一緒に訪れる。
旅のはじまりは、古い教会なのかマリア信仰の宗教施設。
滞在ホテルと野外温泉が舞台の中心となり、ときどき故郷の霧がかった風景の中で家族が妙な表情で佇むシーンがクロスする。
土地で出会った重要人物が都会のローマに行って、街頭演説したまま焼身自殺するシーンは衝撃的なのに、雑踏の見物人はみな無慈悲なところが残酷すぎて。
エンディングの文字スーパーに母に捧ぐとあるので、ソ連を追い出された監督がイタリアでやっと映画撮影が出来、理不尽な世界や哀愁をひしひしと感じるストーリーではあるが。
それは表層的に誰もがわかる設定やシチュエーションであって、そうした背景を通して全体には一貫した監督のメッセージが浸透しているのが、どこかに確実に伝わってくる。


そのひとつには、霧がかる風景がモスクワに似てるとか、古代の自然崇拝に近い廃墟のような宗教施設が暗くジメジメしてたり、やたら雨が降ったり、最後はボタボタ落ちる豪雪の雪に変わる。
これはそういう土地の描写でもあるだろうけど、これだけ徹底的にやってるので相当意味がある。
一度でも晴れて、太陽の日が射すシーンは皆無なのだ。
水に、そして、闇と火。
薄暗いシーンの連続で、闇が圧倒的に多い中で、蝋燭の火が風に靡いて弱々しいにもかかわらず、とても力強く描かれる。
それは、無残な死を選んだ男が炎に包まれるシーンの強烈な火とは対照的に、慈悲深い救いの光となる。
それは崇高な祈りであり、その命そのものを暗示するかのように。
今回、そういうストーリーの中で気づいたことは、女とか女性性へのリスペクトだった。
母に捧ぐという言葉からも、それはたしかだと思う。
宗教施設で日本の田舎の古い祭りのようなシーンがあり、通訳の女性が興味深く見守る中で大地母神のようなマリアに祈るシーンがあり、そこで唯一男性である神父にきく。
なぜこの祭りは女性ばかりなの?と。
神父は、呆気にとられて答える。
女性は子供を産むからではないかと、しかし男にはわからない、そんなこときかれたことも考えたこともなかった、と。
これがこの映画のひとつのテーマというか、骨になってるなと思った。
男女の考えた方の違いや、矛盾や葛藤といったものが複雑に展開して、無慈悲でありながら物語を豊かにしていく。
主人公は監督の化身だから、そんな一人の男として描き抜かれてるなぁと思った。
というわけで、わからないことだらけの映画だけど、また次はいつ観ることになるのか楽しみだ。

とりあえず次は、ストップメイキングセンス観るぞ!と。

 

 

 

 

 

七所神社の笠寺猩々と熱田神楽

祭り好きなわたしの民俗芸能の中でひときわ異彩を放つ猩々ではあるが、昨年の国際芸術祭あいちトリエンナーレにて、わたしのアーティスト魂と祭人魂の交わるところをピンポイントで押さえた企画、猩々コレクティブに参加することで一気に密度が高まった。
そこで笠寺猩々保存会の会長さんと出会うことができた。
そのとき、来年こそは祭りをやるのでぜひ来てほしいと。
そうこうしてるうち、今年の春に地元の石刀祭りでその会長さんと偶然にも再会。
向こうが来たからには、秋の笠寺猩々にはぜひともとなっていた。
それが、先週の日曜の午後からだった。
大切な祭りのご縁でつながる奥三河の古戸で、その日の朝からはじまる八幡神社大祭へ行き、昼前に終わって、その足で笠寺の七所神社へ向かう。
午前中は晴れていたのが、名古屋に着く頃には雨。
案の定、境内にはだれもいない。
早く着いて、これからかもと思いつつも嫌な予感が。
社務所で尋ねると、雨天中止だと知らされる。
わかるよ、わかる。
祭りってのはそういうもん。
向こうを出る前に確認すりゃあよかった、なんて思ってない。
春分夏至のスポット光だって、雨なら中止だもの。
太陽と地球が生み出す、その祭りの波動が出ている巨石群に居ることが重要。
それと同じだ。
わたしはこの地のカミさまと祭りの波動を響き合わせたいからここへ来たのだ。

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きっと、会長さんもこの事態にさぞかしがっかりしつつも、どこか町内で祭りをしているはずだと思い、土地勘のない周辺を探し歩くと、ちょうど囃子車をバラしてるところに遭遇し、無事合流することができた。
そして、中に入ってみんなで祭り囃子の神楽がはじまったのだ。
わたしもその渦中に居合わせるとは。
すごいすごい、この音の熱量。
普通なら祭り道中で移動しながらきくもんだけど、間近で笛や太鼓のこと、演奏のこと、熱田神楽についてまで、いろいろ知らない世界の話をたくさんきけた。
そして、ここに集う祭人たちの絆とか、神楽に対する思いとかこだわりとか。
会長さんの人柄のよさとか。
本当の祭人たちが集う素晴らしい現場。
これも、中止だったからこその展開であり、別の意味での素晴らしい祭りに立ち会うことができた。

能管と間尺笛と神楽笛
https://x.com/fuhgetsu/status/1711032644421800302

2023 七所神社例大祭熱田神楽笠寺保存会/笠寺猩々保存会
https://x.com/fuhgetsu/status/1711784754692153386


www.youtube.com

 

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まず、初めての体験として、下見がてら一週間前に大高の猩々を氷上姉子神社で見て、祭りの流れを知ることができた。
猩々がメインと思いきや、花車の傘鉾や松がメインとわかったつもりが、この日は神楽が重要だと思い知らされた。
笠寺が熱田神楽の発祥地であり、本場であることがとてもよくわかった。
その上で、猩々の果たす役割は、それはそれで重要であるということも。
この日は雨でも、おそらくこの七所神社に宮入した後、御旅所である丹八山へ渡行するときいていたので、解散したあと一人、その道を歩いてみた。
そして、目には見えない猩々と頭の中でぐるぐる巡る神楽の旋律を感じながら。

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それから、一週間前の大高の氷上姉子神社と同じ日、隣の本星崎の星宮社が本地祭りだったことをきいたので、祭り上げた土地のパワーを感じに、そのまま南野隕石と星信仰の巡礼へ。
丹八山から、南下して喚続神社、石神社を経由して、星宮社と上下知我麻神社へ。
こうして、わたしにとっての今年の猩々巡りを締めくくることができた気がします。

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古戸八幡神社大祭でミツハノメの御開帳

先週の日曜は、奥三河古戸八幡神社にて秋の大祭(八幡神社大祭)がありました。

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この集落の年中行事を2019年から4年かかって、これでほぼすべて見ることができました。
この祭りは地域住民が一番多くが集まるためか、コロナでの中止が一番厳しく、やっと解けたのです。
春の鹿射ち神事
夏の盆跳ね込み
秋の大祭。
冬の白山祭り花祭
これらが、四季折々に、地域の暮らしと、一生の通過儀礼と、人生にも深く関わる生活の一部として根づいてること。
それが、神社の神主も、お寺の住職も、特定の宗教の枠を超えて、宮人(みょうど)という組織が祭祀を司るなど、神仏習合の修験の時代さながらに、集落と母なる大地、土着のカミさまとの一体感に包まれている心地よさ。
中でもこの秋の大祭は、とりたてて派手な行事もなく珍しい祭りを行うわけでもない。
まずは中で神事があり、子供の祈祷があり、浦安の舞があり、最後に餅投げをして終わる。
ただそれだけといったらそれだけ。
だから、観光で訪れる客は一切なし。
他の祭りに比べたら平凡すぎて見るものも少ないかもしれないが、地域住民にとってはなくてはならない感謝の祭り。

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その年に生まれた子にご祈祷してもらったり。
巫女舞をするのも年齢が決まっており、年々過疎化と高齢化が進み、年によっては人数が足らないなど、すでに平成でこれが最後といわれた年の記念写真が掲げてある。
それくらいぎりぎりで、今年は二人。
元々は四人舞いらしいが、そうやって、なんとか今年はできた。
しかし、来年はわからないというのが実情のようだ。
では、コロナ禍の中止はどうだったかというと、たまたまその3年間も人数不足で、運良く今年に舞うことができたようです。
とても切ないようだけど、それくらい村では大切な祭り。
そして、一番盛り上がるし、大事なのが餅投げ。
たいていこの時期の祭りは、収穫された米を搗いて餅投げをしますが。
みなさん、楽しみなんですよね、これが。
で、祭りはここで一旦お開きとなりますが、場所を変え、直会(なおらい)の余興が一日中くり広げられるという、地域のつながりを深める一大イベント。

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で、わたしはというと、この祭りで最も注目している部分が、摂社も含めての御開帳。
八幡神社の拝殿奥にある本殿の姿も、初めて見れた。
それだけではありません。
上手から横並びに、稲荷大明神諏訪大明神、そして本殿をはさんで、熊野神社山住神社乳母明神とありますが。
すべての御扉が開かれるのが、年に一度、この日だけ。
実はそれを見るのが目的でした。
春の鹿射ち神事のときに種取りもする諏訪大明神ですが、そのとき秋祭りで御開帳して中の神像が見れるけど、それがミツハノメの女神(罔象女神)だときいていたから。
だけど、それ以来ずっと中止だったのです。
今回、もう一体あることもわかり、その神名が五帝龍王であるとか。
熊野神社にも二体の神像が対で祀られており、棟札に書かれた文字も暗くてよく読めないけど、写真におさめることができたので、今後調べたりするつもりです。

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それと、この祭りに参加する本当の理由は、地域の方との交流を深めるため。
ただ一冬の花祭にだけ来て、満足して帰るのではなく、その祭りに至る一年の暮らしがあり、その上の花祭の終わった翌日から次の花祭がはじまり、種が発芽して、成長し、冬至の頃に新たな花が咲くような、そんな地域共同体の集大成のような祭りが花祭だと思うので。
わたしもこの地域に溶け込んで、一緒に楽しみたいと、祭りの本質が知りたいと、切に願うのです。
次は、花祭の前に行われる白山祭りで、古戸白山に登ります。

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松巨嶋の海に堕ちた隕石と星信仰と七の聖数と赤い猩々

星宮社の祭神は、大和朝廷に最後まで抵抗した天香々背男こと天津甕星神。
それなのに、同じ関東で朝廷に反旗を翻した平将門の乱で、天皇の命で将門鎮圧のため熱田神宮の七柱(熱田大宮、八剣宮、日割宮、高倉宮、大福田宮、氷上宮、源田夫宮)を神輿に乗せ、星宮社で調伏(ちょうぶく)祈祷したという記録が残っている。
調伏とは、仏教用語の調和制伏の略で敵を教化して服従させる意味があり、時代が時代なのでもし従わなければ呪文によって呪い殺すということもあったでしょう。

その同じ伝説が、笠寺の七所神社にも残っている。
熱田七柱を神輿に乗せるところまでは同じで、調伏祈祷した場所が鳥居山山頂(現在の丹八山)であり、山頂に祀った熱田七柱を遷座した場所が七所神社と云われる。

 

星宮社と七所神社の位置関係は、ぴったり南北のライン上に並んでる。
それだけではない。
すべて七という聖数でくくられている。
星宮社の神紋は、七曜紋。
これは星神であるから、北斗七星と見ることもできる。
星宮社の社家が将門鎮圧で調伏祈祷すると七星が輝いたので、この地を星崎と呼ぶようになったという地名由来もあるくらい。
また、星宮社の御手洗池は、将門を調伏祈願する間、眉や目が分からないほど血に染まった者がその顔を洗ったことから七面池とも呼ばれたのだ。
星宮社は、史実として南野隕石が落ちた場所で、それゆえ星神を祀っているのが通説。
入江に明星が降って振動し、海上が鳴り響いたから、鳴海の地名となり、その星が堕ちた海岸を星崎と呼んだ。
しかし、七の数字が妙見信仰を物語ってる。

七星
七曜紋
七面池
熱田七柱
七所神社

熱田の南、笠寺の見晴台遺跡は2万年前の旧石器時代から室町時代までの連続した複合遺跡であり、弥生から古墳前期に最も栄えた環濠集落跡でもある。
熱田台地、八事台地、鳴海台地。
そのあいだの谷間を流れる、山崎川、天白川
その真ん中で取り囲まれるようにしてある笠寺台地は、かつて松巨嶋(まつこじま)という年魚市潟(あゆちがた)に浮かぶ島だった。
古くからの聖地であり、それゆえ複雑な歴史が入り混じりながら今日まで守られてきた歴史ある土地。
深い、深すぎる。
一筋縄ではいかない謎に満ちた奥深さが、この土地の魅力となっている。

 

そこにまた中国南部の伝説の猩々が伝わり、今でも七所神社で1000年も昔に熱田から鳥居山へ神輿渡御した名残で、七所神社の例祭では故地である鳥居山まで熱田七柱を乗せて神輿渡御する。
そのとき一緒に、あの猩々が練り歩くのだ。
その赤色には、血で染まる七面池の伝説や、将門の呪いの血を想起させると同時に、縄文の昔から魔除けのための色。
猩の漢字は、訓読みで“あかい”とも読む。
猩々とは、海に棲む妖精で人の言葉を話す酒好きで赤い顔の獣とされ、実際には古代中国領だったベトナムのオランウータンのことだとされている。
日本に伝わり、能の演目となったり、山車のからくりにもある。
しかしだ。
よく文字を見てほしい。
獣偏に星だよ。
またここにも、星が出てくる。
もういい加減にしてくれ、ワクワクしちゃうじゃないか。
いろんな点がつながって、歴史物語が見えてきそうだ。
星崎に堕ちた隕石と、星神の星宮社と、将門鎮圧の熱田七柱の七所神社が、七の聖数と星ですべてつながってる。
これは何かあるなと思わざるを得ない。
能やからくりにあると書いたけど、竹籠に和紙の張りぼてを着ぐるみにして被る巨大な猩々は日本広しといえどこの尾張だけ。
しかもエリアが限られた、松巨嶋と年魚市潟を取り囲むような一帯。
なぜなんだ。

猩々の発生時期も、江戸時代。
寛永9年(1632)に堕ちた南野隕石が、呼続神社のご神体になってて、星崎の地名由来になってる。
そうだ、このエリアこそ隕石の衝撃が伝わった範囲じゃないか。
猩々は隕石に乗って、この地に飛来したのかもしれない。
そして、その赤色も、バリンで叩くのも、魔を祓う所作。
もちろん、本当のことはわからないけど。
将門を呪い殺した場所でその御首を祀り、その御魂を慰め、癒すために祭りをやってるとも思えてくる。
もちろん、祭りとはどこも表向き明るくワイワイ陽のエネルギーに満ちていてそんなの関係ないと思うかもしれないが、江戸時代にはじまるあの賑やかな花火も疫病や飢饉を癒すための慰霊だし、死と生は密接であり、同義なので、祟りを恐れての慰霊だけでなく、新たに生まれ直すための鎮魂儀礼やタマシズメの祭りは多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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大高の猩々@氷上姉子神社例祭

古代の伊勢湾の年魚市潟(あゆちがた)で、熱田の岬から松巨嶋を経由し、船で往き来していた火上山。
山頂の元宮は、氷上姉子(ひかみあねご)こと宮簀姫(みやすひめ)の館跡。
火高(ほだか)火上(ひかみ)が、後の世に大高氷上となる。


10月1日は、大高の猩々氷上姉子神社の例祭でした。
いよいよ秋祭りの猩々シーズンが到来。
ついに、あの憧れの猩々を、本場の祭り空間でご対面し、あのドキドキ感を初体験することができました。
話せば長い猩々との出会い。
岐阜の山車からくりや、能の演目ではお馴染みの。
それが年魚市潟の熱田や笠寺や鳴海の方に来ると看板があったり噂にきく、ゆるキャラ並みの親近感なのにおそがい(尾張弁で恐ろしい)興味津々な出で立ち。
いったいどんなんかはいろいろ調べたりもしたし、昨年はあいちトリエンナーレの一環で猩々コレクティブに参加したりと、じわじわと実際のリアル猩々に近づいてきたのと同時に、コロナで3年連続中止の狭間にいたのが、今年は「時は来た 大高祭り 復活の儀」ときけば、なんとしても行くしかない。

午前中は各町内から花車を曳いて、辻の秋葉社に大集合した後、午後から次々と宮入り。
その間、笛に太鼓の祭り囃子の神楽が鳴り響き、大高の町全体のエネルギーを高めながら練り歩く。
猩々の赤も、魔除けだし。
叩いたり追いかけるのも、魔を祓う大切な役目。
そこを、各町内のカミさまを載せて、大集結しているのだ。
この祭りで巡行する山車の花車は、町内により1つか2つ、しかも2種類あるようで、ホコとかダシと呼んでましたが、正式には傘鉾車松車というそうです。
傘鉾車は文字通り、和傘にぐるっと垂れ幕が巻かれてました。
松車は文字通り、松が立ってます。
どう見ても、祇園山鉾巡行からきてるのでしょう。
鉾が傘鉾で、山が松車。
しかし、祇園牛頭天王の祭り。
なぜに熱田でこのような祭り形態をとってるのか。
この地ならではの大人形の猩々が、個性的で豊かな文化の多様性を物語る、土着の祭りと掛け合わさった陸の東海道と海からのミックスカルチャーなのでしょう。


わたしはてっきり、猩々がメインの祭りと思ってましたが、その実は脇役的なサルタヒコや天狗のような役割をしてる感じでした。
先を割った竹の棒で子供の尻を叩くとその年は病気しないとか、全速力で追っかけるのも、邪気を追い祓い、魔除けや厄祓いとなってる。
この叩く棒をバレンと呼んでいた。
子供たちは屋台で買うのか、みんな厚紙製のハリセンを持って奇襲攻撃。
猩々にケンカを売り、いやちょっかいを出し、叩かれたり追いかけてもらうのだ。


本殿前の境内を、ずらりと並ぶ。
猩々が祓って、花車が回るのも意味があり、賑やかな境内の裏で、本殿では粛々と神事が執り行われる。
そして一番先頭で入った新町が鳥居を出たので、これで終わりかと思いきや、残った町内は静止したまま後続せず、長い間静かに何かを待つのでした。
しばらくすると、また新町の花車が戻ってきた。
一緒に着いていけばよかったけど、様子からすると元宮まで行ってぐるっと回ってきたようだ。
こうして祭りは無事に終わり、神幸として土地のカミさまと渡行し、またそれぞれの町内へ帰っていきました。
またそこで、それぞれおおいに盛り上がったことでしょうね。
それにしてもいい祭りだ。
さて、次は笠寺の猩々がわたしを呼んでるような気がしてきた。

 
大高の猩々@氷上姉子神社例祭
2023年10月1日(日)

例祭 十月第一日曜日 十四時
古くは神輿が元宮まで神幸したり、氏子中より馬塔を奉ったといわれています。現在は各字(あざ)より花車をひき出し、大高町全域を練り歩いて境内に集合し、祭典に参加します大高町は終日祭り一色で賑わいます。
~氷上姉子神社の栞より~
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

2022 天道祭の鬼祭り@入鹿村の天頭社(天道宮神明社)

これは昨秋の、犬山の天道祭鬼祭り
今年は、大高の猩々と重なったため行けませんでしたが、入鹿村が水の底に沈む前から伝わる非常に興味深い祭りです。
今回初めて、年魚市潟(あゆちがた)の猩々を見てはっきりしましたが、この鬼と猩々は、まるっきり要素は同じ、同じルーツの祭りです。

2022 天道祭の鬼祭り@入鹿村の天頭社(天道宮神明社


www.youtube.com

2022年10月2日(日)

犬山の入鹿池に沈んだ入鹿村
その住民と社寺が移り住んだ #前原 に、天道宮神明社がある。
その天道祭が、鬼祭りとして残っており、3年ぶりに行われました。
#赤鬼 の面をつけてますが、その動きや風貌は鬼というより、名古屋南にある笠寺や有松や鳴海辺りの祭りに出没する猩々のようで、赤くて長い髪が全身を覆う姿もそっくりであり、手に持つ #榊の枝 で子供たちを叩いたり撫でたりするところはまた、恵那福岡(植苗木)の榊山神社の叩き祭りにも通ずるものがある。
その後続に獅子舞がいて、獅子頭が子供たちの頭を噛むという要素もある。
参道の鳥居を出発した神輿渡御で、どちらも先導しながら邪気を祓い、笛や太鼓の祭り囃子に乗ってさらに後続の神輿を誘導し、最後に本殿を右回りに三周して終わりますが、そのまま赤鬼だけが山の神へ挨拶に行く。
ということから、赤鬼の本質が山の神の化身であることがわかる。
とにかく、祭りの意味ややっていることはわかるけど、この近隣や周辺の祭りを見渡してみてもこのような祭りは何処にもないから不思議というか謎というか、そのルーツをずっと追っています。


ここの祭りで独特なのところというかユニークなのは、神輿渡御の先頭にサルタヒコや天狗代わりに赤鬼と共に榊の枝を持った斎主が同じ歩調でゆったり歩く中、小さな子供がいると赤鬼は榊で頭を撫で、つづく獅子頭が頭を噛んで、無病息災で健やかに過ごせるご利益を授けます。
ところが、イタズラ盛りの少年たちは赤鬼の後ろをつけてちょっかいをかけたり、あちこちから待ち伏せて「あかーあかー」とはやしたて、大人しい赤鬼を煽ります。
すると急に赤鬼が走り出し、子供たちも蜘蛛の子を散らしたように全速力で逃げ回り、追い詰められると嬉しそうに榊の枝で叩かれます。
このようなほのぼのとした祭りが、いつまでもつづいてほしいものですが、年々祭りは高齢化しながら、子供たちの姿も少なくなっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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秋分の笠置山と聖なるツルギの田原神社

樹木の幹を纏う樹皮が剥がれたかのような。
カブトガニとか殻を持った甲殻類のような。
どこか宇宙的な、不思議でパワフルな巨石。
これも、山頂の巨大岩盤に鎮座する田原神社の数ある巨石群のひとつ。

 

何度も取り上げてるけど、田原神社といえば本殿を守る、この宇宙狛犬

 

田原神社の鳥居越しにそびえる、笠置山
この日は秋分の日。
つまり、真西に向いてるってこと。
この地は、真っ直ぐ東西のレイラインに並ぶ聖地のひとつ。
拝む方向にある本殿は、真東から昇る春分秋分の御来光に向いているということだ。

 

前にアップした、秋分の日の写真。

t.coこれは田原神社本殿の前の巨大岩盤に、いつの時代にか祀られたツルギの跡。
この秋分の日も、真西の笠置山に沈むオレンジビームの夕陽に照らされていた。
もしここに、聖なるツルギが置かれていたらどれほど輝いて見えたことでしょう。

 

秋分の翌日、また田原神社の前を通りかかったら、幟が上がってた。
前日はひっそり人っ子一人いない神社で祭りの気配も感じなかったのにびっくり。
今年は秋分が土曜で、第4日曜を祭礼にしてるのだろうか。
詳しいことをきけなかったけど、古代から秋分の太陽に感謝してきた末裔の祭りなんでしょうね。

 

 

 

 

 

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月遅れのお盆と重なる8月15日は終戦記念日改め休戦記念日に!

めんどくさいやつですが、わたしはこの終戦記念日というのがピンと来ず、たった一日で思うようなことではなく、戦後ずっと毎日思えばいいことだと。
アースデイとか、母の日だって、毎日でいいのと同じで。
で、この終戦という言葉。
為政者にとってとても都合いいものだから、けして敗戦とは言わない。
だから、未だにあの戦争が何だったのかを顧みず、何の検証もされず終わったことにしたいのです。

広島の原爆投下が8月6日。
長崎の原爆投下が8月9日。
ポツダム宣言を受諾したのは、8月14日です。

では、8月15日を何と呼ぶか。
実は、終戦記念日でもなく、敗戦記念日でもありません。
あえていうなら、休戦記念日でしょう。
この日に何があったかご存知ですよね、みなさん。
そう、玉音放送天皇陛下がはじめて国民に語りかけました。
なんと言ったかよく聴いてください。
武器を捨て戦いを終えるように呼びかけただけですよ。
宣戦布告に対して、休戦布告した日なんです。
対するアメリカは、9月2日を戦勝記念日としています。
1945年9月2日に、日本の降伏調印式は東京湾上に浮かぶ米戦艦ミズーリ号で行われたのです。
敗戦記念日となるのは、この日でしょう。

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つまり、8月15日は休戦記念日と呼ぶべきところ、終戦記念日という言葉でまた国民を欺しながら、戦前の国家体制は変わらないまま毎年この日を迎え、一時的な休戦という状態のまま次の戦争の戦前を生きている。
また同じ過ちを犯す準備に勤しんでるのが現状です。
そりゃあ、憲法改正したいでしょう。
しなくても、憲法解釈なんて無茶苦茶でここまで来てるんだから。

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そもそも終戦記念日ってゆう言葉がいつから使われたのかご存知ですか。
つい最近ですよ。
1945年8月15日の玉音放送では、戦いを終えるように告げた停戦、つまり休戦宣言。
これ以降、天皇も国も、日本が負けた敗戦という言葉もなく、終戦したとは一言も公言してない。
もししてたなら教えてください。
訂正しますので。

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では、この日を終戦記念日としたのはいつから?
国は、1963年8月15日に政府主催の全国戦没者追悼式を武道館でしはじめ、戦後36年も経った1982年になって「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と定めた。
それだけです。
ただ新聞テレビが、この日をいつからか終戦記念日と伝えつづけてる。
こうして振り返ると、国民自ら戦争などしたくなくとも、国が強制しなくとも、戦前の新聞ラジオが戦争へ向かうように煽りまくり、国民感情は恐怖からくる自衛の心理が働き、一気に戦争ムードへと熱狂したため、政府も動かざるを得なくなったという経緯があることも事実。
そんなメディアが、自らの悪行を反省するどころか、はなから真実を伝える機関ではないので、戦後はこの日を終戦と煽ってるにすぎない。

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