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3年ぶりに開催された #榊山神社 の例大祭 #叩き祭り にて

この榊山神社には、恵那蛭川の巨石群に春分のスポット光が射し込むことをはじめて確認した2年前から、周辺の縄文遺跡と神社巡りを同時にはじめたことでたどり着く。

 

しかし、ときはちょうど世の中が疫病に怯え、すべての祭りが中止に追い込まれる真っ只中でした。
誰もいない境内で、ここには春宮夏宮秋宮冬宮の四社があるとか、縄文の石棒も祀られ、奇祭と云われる叩き祭りがあることを知る。
なんとしても観たかったのだが、それが今年ようやく再開の兆し。
ただし、残念ながら一部省略の形で行われるとのこと。
初めてで戸惑って見逃すことのないよう、事前に宮司さんへ電話もして、祭り当日の時間など詳しい次第の流れをきいておいた。

 

事前に知り得た由緒はこうだ。
昔この辺り(恵那福岡)の山に牛頭天王が現れ、天から降ってきた七本の松の苗木を植えて祀るようにとお告げがあり、植苗木という地名がついた。
その後、歴代の統治者である遠山氏の広恵寺(山城)に祀られていたのが、戦国の世となってさらに条件のよい場所を探すことになる。
新たに、高森の山に苗木城をつくるため、植苗木の山から氏神である牛頭天王を神輿に乗せて遷座しようとする道中、今の榊山神社のある場所で神輿が突然動かなくなる。
その周りにたくさん生えていた榊の枝を折って、ご神体を乗せた神輿の担ぎ手を叩いてもうんともすんともいわないので、そのままここに祀ることになったと。
その故事に因んで、叩き祭りが行われるようになったわけです。
いや、なかなか面白い要素がたっぷりのストーリー展開に、奇祭と呼ばれるだけはある背景の奥深さ。
氏子が手にした榊の枝で参拝客を叩いてもらうと、その年は健康ですごすことができるとされてます。
しかし、よくあるこうした御利益は、後付の縁起担ぎだと思います。
祭り全体を見渡すと、神事から渡御のスタイルが独特で何かしらの意味がしっかりとあり、最後列の氏子が榊で叩きながらついて行くのです。

 

牛頭天王については諸々の謂れがあるためここでは割愛させていただくとして、やはりこの祭りに夏越の大祓や祇園祭の要素があることを感じた。
全国各地の祭りもそうであったが、八坂神社の祇園祭もこの2年中止となったことで、祭りの本義とは何か、ということがこんなに深く問われた時代は祭りがはじまって以来一度も無かったのではないかと思うほど、悩みに悩んだ規模縮小での催行は不幸中の幸いだったと思う。
山鉾巡行がどうとか神輿渡御がどうとかでなく、要素を削ぎ落とした必要最低限の神事のみで行うことで、祭り本義がくっきりと浮かび上がる。
年に一度の神幸により、八坂の大神が市中に出てきて、そこで直接、民が願い、祈ることで、疫病を祓い浄め、渦を鎮めていただく。
そして、還幸により八坂神社にお還りいただく。
こういうことだと思う。

 

はたして、恵那福岡の榊山神社はどうなのか。
元々の、3年前まで行われていたフルコースの祭りの次第がわからず、どこからどこまでが省略されたのかわからないが、ここでも祭りの本義が忠実に行われたいたことでしょう。
だから、祭りの由来や神社側の説明には無かったことですが、わたしにはこの祭りが牛頭天王祇園祭を忠実に行っているのだと感じました。
まず本殿で神事をして神降しし、神輿に乗っていただく。
渡御の並びにも意味があるのでしょうが、朱の傘に、死に装束である白装束、色とりどりの装束、獅子頭、神輿、と。
その秩序だった行列が、境内から参道を下り、市中に出る。
そして、戻ってくる。
榊山神社例大祭の中で、神幸と還幸をしながら榊で祓うのも、やはり祇園祭の本義と同じだと思ったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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