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ミカツ姫とホムツワケのアズラ伝説 ~美濃尾張をつなぐ出雲神話

2014年01月27日 17:24(∞音∞ a.k.a. 風*月)
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ミカツ姫とホムツワケのアズラ伝説 ~美濃尾張をつなぐ出雲神話
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阿豆良神社
愛知県一宮市あずら1-7-19
祭神:天甕津媛命(あめのみかつひめのみこと)

阿豆良神社の社伝に、垂仁天皇の皇子品津別は七歳になっても言葉が話せなかった。皇后の夢の中に天甕津媛命が現れ、「今まで私を誰も祀ってくれない。祠を立て神に祭るなら、皇子は言葉を話せるようになり、天寿を全うするだろう。」と伝えた。垂仁天皇は、建岡君に天甕津媛命を探し出すように命じた。建岡君は美濃国の花鹿山(花長上神社の御神体)に登り、榊の枝で髪飾りの縵(あずら)を作って神に祈り、「此の縵の落ちた所が神を祭る所であろう」と言うと、縵を遠く投げたという。この縵が落ちた地に阿豆良神社が建てられた、とある。

このもととなるのが、『尾張国風土記』の丹羽の郡、吾縵の郷。巻向の珠城の宮に天の下をお治めになった天皇垂仁天皇)のみ世、品津別の皇子は、生まれて七歳になっても口をきいて語ることができなかった。ひろく群臣に問われたけれども、誰一人よい意見を申し上げるものがいなかった。その後、皇后の夢に神があってお告げをくだし給い、「私は多具の国の神、名を阿麻乃弥加都比女というのだ。私はまだ祭ってくれる祝をもっていない。もし私のために祭る人を宛てがってくれるならば、皇子はよく物を言い、また御寿命も長くなるようになる。」といった。帝は、この神が誰で、どこにいるのかを探しだすべき人を占わせると、日置部らの祖建岡君がその占いに合った。そこで神をたずねさせた。その時建岡君は美濃の国の花鹿の山に到り、榊の枝を折とって縵に造り、祈誓して「私のこの縵が落ちるところに必ずこの神がいらっしゃるだろう」といったところが、縵はとび去ってここに落ちた。そこで神がここにおいでになると知って社を建てた。この社名によって里に名づけた。後の人は訛って阿豆良の里という。

ホムツワケ命は、生没年未詳の王族。
垂仁天皇の第一皇子で、母は皇后の狭穂姫命(彦坐王の女)。
日本書紀』では誉津別命
古事記』では本牟都和気命、本牟智和気命。
尾張国風土記逸文では品津別皇子。

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花長上神社
岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲名礼1211-1
祭神:天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)

花長上神社は、御神体である花鹿山の麓にある古社。
さらに真南にある花長下神社とともに、式内美濃国大野郡の花長神社に比定されている。

祭神の天甕津日女命は、『出雲風土記』と『尾張国風土記』に出てくる出雲神話の神で、祭祀神社は出雲のほか美濃の当社と尾張の阿豆良神社のみ。
地名では、秋鹿と花鹿、伊農と大野が対応している。

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花長下神社
岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲名礼字鷺坂848-1
祭神:赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命(あかふすまいぬおおすみひこさわきのみこと)

花長下神社の祭神は、赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命。
上社が女神で、下神が男神の夫婦神。
もとは、ふたつでひとつの花長神社。

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出雲国風土記』に「出雲郡の伊農郷に坐す赤衾伊農意保須美比古佐和気能命の妃、天甕津日女(あめのみかつひめ)命」とある。
それとは別に、「阿遅須枳高日子根の后、天御梶日女(あめのみかつひめ)命が、多具の村においでになって、多伎都比古の命をお産みになった」とある。

天甕津日女命と天御梶日女命は同じであるため、赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命とは阿遅須枳高日子命のことであるとされている。

多久神社(島根県出雲市)の祭神は、多伎都彦命と天御梶姫命。
社伝によると、阿遅須枳高日子命の后、天御梶姫命が、当地で多伎都彦命をお産みになったという。
同じ島根県出雲市にある、天之甕津日女命を祀る伊努神社(西の宮)は赤衾伊努意保須美比古佐倭氣命であり、都我利神社(東の宮)は阿遅志貴高彦根命である。
また、島根県松江市にある久多美神社では、味耜高彦根神と天御梶姫神が一緒に祀られている。


そして、天甕津姫は金星である悪神とされた天津甕星神の配偶神ともされる。

尾張国府宮近くに、久多神社(愛知県稲沢市)がある。
祭神は、天背男命と茜部天神の二柱。
尾張大國霊神社国府宮)の社伝によれば、神職には古くから尾張族の遠祖、天背男命の子孫が代々奉仕して来たが、後に久田氏を名乗った…

 

 

関連トピ:
クシミカタマとミカボシに隠されたニギハヤヒ
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追記:2024年3月5日

当時は、musublogというブログ版もありましたが、サーバー閉鎖により閲覧不可。
ググって検索に引っかかったmixiと内容は同じものですが写真が1枚多かったので、以下に追加し、これで復活することができました。
https://x.com/fuhgetsu/status/824656163652251648

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阿豆良神社の由来

吾鬘に鎮座まします神で、郷社(式内)阿豆良神社と申すが本名であります。
祭神は天みか津媛命で垂仁朝五十七年(紀元六八八)の創建で今年から一千九百四十二年前に当たる古社であります。
熱田神宮津島神社、内津神社よりも古く大県神社国府宮尾張大国霊神社と殆ど同時代で一宮真清田神社だけが神武朝三十三年であるから古いのであります。
尾張本国神名帳集説に
従一位阿豆良名神在稲置庄吾鬘村、釈日本紀尾張風土記中巻曰、丹羽郡吾鬘郷巻向珠城宮御宇天皇(垂仁)品津別皇子、生七歳而不語。 傍問郡下無能言之。 乃後皇后夢有神告曰、吾多具国之神名曰阿府彌加郡此女吾未得祝、若為吾充祝人皇子能言、亦寿考。 帝卜人覓神者、日置部等祖建岡君卜、食即遣覓神、時建岡君到美濃国花鹿山、榊攀賢木枝造縵、誓曰吾縵落処必有此神、去落縵於此間、乃識有神。 因竪社由社名里。 後人訛言阿豆良里。
右の由緒は諸書にありますが其の中最も簡結なものです。
これを意訳しますと
垂仁天皇に品津別皇子と云う皇子がありました。
生まれおち唖で七歳になられても言葉が出ません。天皇は御心配の余り郡臣に治療の方法を御尋ねになりましたが、誰も明答を致しません。
一夜皇后様の夢に「私は出雲の阿麻彌加都此女(天みか津媛)と申す神であるが、今迄誰も祀ってくれないが祠を建てて神を祭るなら、皇子の唖はたちどころに治り、天寿を全うして長生が出来よう」と申して枕神は消えました。
天皇は臣下に卜占はせて建岡君に祭神の事を御委せになりました。
建岡の君は美濃国花鹿山(揖斐郡花長神社、現存)に登って山中の榊の枝で縵(古代頭髪に挿すもので「カンザシ」に当たる)を作って天神に祈って「此の縵の落ちた所が神を祭る所である」と申されて縵を遠く投げられられました。
縵は遠く南方に飛んで此の地に落ちました。
そこで直ちに神殿の造営にかかって天みか津媛命をお祀りになりました。
「みずら」によって地名となり後世言葉がなまって「あづら」となりました。
古来此の神社に祈願すると聾唖が治ると申すのも由緒から来たものであります。
境内神社中に神宮司社と云うのがありますが、前に述べた建岡の君が祀ってあります。