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20230528 白山大神の神送り祭@洲原神社

洲原神社の神送り祭にて、午前中に斎田での御田植神事につづき、午後から行われた神送り神事で斎主により奏上された祝詞がとても印象的でした。

 

白山信仰美濃馬場の前宮として、白山が深い雪に閉ざされる冬に白山大神をお迎えする、洲原神社の垢離取祭と神迎え神事には何度か訪れたことがあります。
迎えたからには送らねば。
春に還るときいてはいたのだが、初めてその神送り神事を体感することができました。
以下、自分のためのメモを兼ねた散文です。
5月28日の当日、開始時間が10時からということしか知らずに到着すると、みなさん赤いタスキを掛けたり長靴を用意したりと、午前中は田植えだと知らされる。
自分とこの田植えは6月に入ってから手植えするから見学するだけでやめとこうと思いつつ、やっぱり当日受付で参加することに。
後ほど神送りでお帰りになる白山大神と過ごす最後の時間が田植えのようです。
田んぼに御幸を授けてもらうため、カミさまを唐櫃に乗せて、少し離れた場所にある斎田までをみんなで歩いて神輿渡御。
晴れ予報だったのが曇り空でしたが、タイミングばっちりの田植え日和。
品種はイセニシキかな。
それを1本植えが理想だけど2本植えでもいいとのことで、わたしは2本植えしました。
綱の張り替えで太鼓を鳴らし、早乙女では無く誰でも気軽に参加でき、和気あいあいと楽しく手植えができてよかった。

 

この御田植神事は6年前に復活したようです。
そして、しばらく途絶えていた神輿渡御は、昨年から古式に近い形で復活したとききました。
まだ本殿の中に大きな神輿があって、本来は古い集落の神輿休みの場所まで回っていたのを、その大神輿が出せない事情により、神輿代わりの唐櫃ですが、いつか完全復活したいと仰ってました。
それから、昔の神送りは旧暦四月九日だったそうで、今年は5月28日の日曜日がちょうどその四月九日だったというのもすごい。

 

斎田から洲原神社に戻って昼休憩の後、いよいよ白山大神の神送り。
その時間まで、拝殿でご祈祷を受ける方や人形(ひとがた)の形代(かたしろ)を川に流すお祓いを受けてる方もたくさんいらっしゃいました。
境内の池にも水神が祀られてますが、この神岩の頂にはかつて水神の祠がありました。
とにかくここは禊ぎ祓いのお宮と呼ばれるほど、水辺の瀬織津姫神事が多い気がします。

 

垢離取祭のように、神送り祭も神岩のある長良川でやるのかと思いきや、拝殿での神事のみ。
そういった意味で写真でお見せするような見所もないお祭りですが、そういえば垢離取祭の神迎え神事も拝殿だったし、けっこう夜遅くまでたくさんの人が残って行いますもんね。
だからこの神送り祭の見所は午前中の神輿渡御にあるのか、とやっと理解。
田植えから戻った唐櫃の飾りが取り払われて本殿前に鎮座し、粛々ととても厳かに執り行われていましたが、後半というか最後に斎主の詠みあげる祝詞がすごかった。
五十嵐宮司祝詞も、内容とか中身はよくわからないけど、声もいいしとても心地よく好きなのだが。
神送り神事のメインは斎主だということだけわかった。
斎主とは何なのかよくわからないけど、そういえば垢離取神事でたった一人が水垢離するのも斎主だったなぁと、ふと。
よく見ると、やはり同じ顔の同じ人だ。
大祓祝詞も、この日はすごい感じた。
ひふみ、からはじまる長い祝詞があったり。
白山のカミさまをうたう七五調の詞も、すごい。
そして最後に、白山大神を送り出す警蹕(けいひつ)の唸るような響きが、このカミさまへの畏敬の念を感じるほどすごかった。

 

いつもなら低頭して、撮影も遠慮し目を瞑るけど、宮司禰宜が鈴と拍子木のような鳴り物を手に持っていたので、これは普通の祝詞ではないと直感し、直視はできないけど俯き加減でスマホ画面見ながらちょっとだけ撮影。
多くの方に、この祭りの本質的な部分がなんとか伝われば。

動画ショートバージョン

動画ロングバージョン

神送り神事@洲原神社
https://youtu.be/V9UmWWGMYFQ

 

こうした一通りの神事は、通常は氏子総代までしか中に入れず一般の参拝者は見ることのできない類だと思うけど、洲原神社は表にある壁のない拝殿で誰でも見れ、さらに希望者は誰でも拝殿の上まで上がって間近でカミさまに接することが許される、とても懐の深い神社。
宮司の言葉からも伝わりますが、いろんな場面で神職のみなさんから氏子や崇敬者への感謝の念を感じます。

 

ここは昔から神岩や砂浜の淵がある長良川が遊び場だったのでよく知ってて、30年くらい前に通ってた頃は鬱蒼とした社叢に苔生して朽ちかけたような社殿にどこか寂しくも威厳のある神々しさを感じ、いつ来ても誰にも会わず独り占めできる隠れ家的な神社として好きでしたが。
時代が変わり、宮司も変わり、どんどん人が集まる聖地のように輝きを増してよくなっていくのがわかる。
まだ白山信仰も神社がどういうところなのかすら知らない、神岩を無人島と呼んで子供たちと登るような失礼な態度で接していたこともありますが、そんな思い出と共に今でも大好きな神社です。