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ゲド投げ神事の白山中居神社秋季例大祭

本日は、白山中居神社にて秋季例大祭でした。
10月17日といえば伊勢では神嘗祭
偶々でしょうが、うちの近所の氏神である鉾塚神社も昨日今日の2日間が秋の例大祭なのでそちらにも挨拶して、いざ。
中居神社では10月第3日曜の例大祭で、新嘗祭の要素があるゲド投げ神事という気になる名前のお祭りが行われる。
新しい宮司さんになってから、わたしにとって初のお祭り、初のゲド投げを体感してきました。

 
まず参集殿側の奥から、宮司禰宜が大宮殿に向かって渡御し、中に入ります。
菊理姫の大宮殿にて、下手の祓戸から神事がはじまりました。
新しい宮司となった洋子さんとはすでに親しい仲なのですが、女性が宮司になられたことがとても嬉しく、なぜかわたしは喜んでます。
未だかつて女性宮司の存在を聞いたことがなく、今回初めて祝詞を奏上するお声を拝聴しましたが、やはり感動しました。
そのお姿も、まるで卑弥呼のようで美しい。
わたしたちの新婚旅行は久高島でしたが、その久高島では御嶽で行うすべての祭祀を女性のノロが取り仕切っていました。
今までも中居神社では瀬織津姫が浮上したり、どんどん女神のエネルギーが開かれていってるので、もうそういう時代になったということですね。

 
一通りの次第が終わり、いよいよというところで宮司による笥筒(ゲド)投げの説明がありました。
メモ無しで、ざっと要約すると。
ここのカミさまは、イザナミイザナギですが、火の神カグヅチを産んで亡くなったイザナミに逢いたくて、イザナギは黄泉へ行き、醜い姿となった最愛の妻の姿に驚いて逃げ出すと、予母都志許売(よもつしこめ)という鬼が追いかけてきたので、黄泉平坂で桃を投げ、桃が無くなると、縵(みずら)を投げ、その隙にあの世とこの世の扉が開いて無事生還する。
このとき投げた縵の形をした、稲藁で包んだゲドという今年穫れた新穀のお米を粉にしてつくったものを投げ、それを奪い合う。
そのとき競って奪い合う=賑やかなほどカミさまも喜び、来年の春にまたモミから芽が出て豊作となりますように、という新嘗(にいなめ)の収穫感謝祭である。
ゲドは餅米のように柔らかくないので、茹でてから焼いて食べるにしても固いという。
初めて食べることになるので想像だけど、きりたんぽのようなものだと思う。
包んである縵の形の藁は、食べ終わったあとに高い場所に掛けて、魔除けにするとよいそうです。

 
さて、このゲドとはいったい何か?
疑問に思いませんか?
わたしはすぐに気になります。
現地で詳しい方に聞けば早かったものの聞きそびれ、自分で調べることに。
わたしが気になるくらいですから、地元に言い伝えがあったり、それが謎であっても民俗学者による解釈や定説があるに違いない。
しかし、調べても出て来ない。
それくらいマイナーなお祭りで、ネットに載るまでもない、文献資料を探さないといけないレベルなのか。
ゲド戦記のゲドですら、その意味がわからないというのに。
ゲドは、漢字で笥筒。
笥筒投げ神事と書かれたりします。
笥(げ)=笥(け)とは、古代の日本において食べ物を盛る器のこと。
竹冠であることから最初は木製でなく竹を編んだ箱だったのが、後に四角く編んだ竹製の容器のことを筐笥(きょうし)と呼ぶようになった。
笥はいろんな用途の入れ物となり、衣服なら箪笥(タンス)となる。
桶(おけ)の語源は麻笥(おけ)で、大麻を績(う)み=繊維を細く裂いて、それを紡(つむ)ぐ=撚って糸にするため、まず績んだものをたくさん入れておくための入れ物を麻(お)笥(け)と呼んだ。
そのような意味を持つ笥に、筒で、ゲド。
筒は訓読みで、つつ。
音読みで、トウ。
濁音化したゲドウが、ゲドになったのでしょう。