名古屋市西区上小田井にある星神社で、本日、七夕祭がありました。
毎年8月7日に行われるのは、月遅れの旧七夕だからです。
そして、庄内川を挟んだ対岸の多奈波太神社とセットとなる、尾張独自の七夕伝説が語り継がれてます。
不思議なのは、由緒に、主祭神は大己貴命=大国主命となってること。
合祀として、天香香背男神・牽牛星・織女星の名が見えます。
なんか変ですよね。
いつからか星神のカガセオに、七夕の二神が重なったのでしょうか。
また、式内社の坂庭神社でもあることも奇妙というか。
古くから坂庭星社とも呼ばれ、土壇をつくって星祭が行われてきたともいう。
大神神社の祭神は、大物主神。
配祀されている大物主神=大己貴命は少彦名命と共に国づくりをしてきた。
酒造りの神でもある。
だから、坂庭の祭神が大己貴命ということでしょう。
それでも星神社を名乗り、天香香背男神を祀るには何か理由があったはずなのにさっぱり見えてこない。
だから、ずいぶん前に数回来てみても何もわからずだったので長らく保留にしておきました。
この祭りへも、いつも平日開催なので行けるタイミングがなかなかなく、まぁいいかとなっていた。
ところが、魂の妹である実杷ちゃんから行くよメッセージが来て、最近の台風みたいに紆余曲折して、ご縁つながりとなったマヒロさんと行くことに。
どうやらそれぞれみなお役目があり、今日はその確認のためだったようで。
そんなこんながあって。
やってました。
きらびやかなLEDの星祭。
一地方の七夕祭として、これはこれでいいのです。
お詣りして、神紋が七つ星の七曜紋だということに再度注目。
おやっ、ここはもともと妙見信仰だったのか。
だけど、別の神紋は三つ星紋になっとるやん。
オリオン座の三つ星だ。
ますます謎は深まるが、一気に近づいてきた感じ。
今までは、来たといっても、普段は無人の神社。
表向きに書いてある由緒からはさっぱりだったのが、社務所で宮司さんから直接お話を伺うことができた。
神紋が七曜紋で、三つ星紋はこの星祭を現していると。
表向きの七夕の絵には牽牛星と織女星の二人が描かれてるだけだけど、本当はこの真ん中にもう一人カミさまがいて、それが天香香背男神だと。
それで、真ん中にカガセオが描かれた短冊を見せてくれた。
なるほど、やっぱりこうやって裏側に隠しながら守り、大切に祀ってきたわけか。
オリオン座の三つ星で間違いないと思うけど、もうひとつ閃いたのは夏の大三角形。
天の川を挟んで彦星こと牽牛星のアルタイルと、織姫こと織女星のベガに、真ん中となる天の川の中にある三つ目の星がデネブだ。
この絵は、もしかしたらカガセオがデネブであることを意味してるのかもしれない。
今夜は伝統的七夕。
— ∞音∞ a.k.a. 風*月(𝕗𝕦𝕙𝕘𝕖𝕥𝕤𝕦)𓆈 (@fuhgetsu) 2015年8月20日
新暦7月は梅雨ですが、旧暦では初秋。
夏の大三角形(ベガ=織姫・アルタイル=彦星)は8月頃が一番よく見える。
文月七日は上つ弓張月。
宵に向かって南中する弓張月が、満天の星空にかかる天の河に舟の形となって渡ります。 pic.twitter.com/2E2N42zLN1
東国のミカボシカガセオ勢力は、尾張の庄内川一帯にまで広がっていた。
そのルートは熱田のヤマトタケルとも重なる、という直感も再確認した感じ。
富士山の東麓辺りが本拠地だったミカボシカガセオ勢力は、関東まで後退しつつ滅ぼされたかのように見えて、実はその後も子孫が生き残っている。
古事記にはなく日本書紀にのみ記される天香香背男は星神で悪神のため、倭文神の建葉槌によって討伐される。
その場所が、茨城日立の大甕神社。
もしかしたら、建葉槌と共に天津甕星が祀られる大甕神社と同じような意味で、討伐した側とされた側が祀られたということなのか。
倭文(しとり)とは、機織りと大きく関係する織物のこと。
それで、七夕伝説の二神と結びつけてあのような祀り方をしてるかもしれない。
いずれにしても、この地ではもともとオリオン座の三つ星としてカガセオの星信仰が、かなり古くからあったということなのでしょう。
ここは七夕色が強すぎてちょっと違うかな、と危うく眼中から外しかかってましたが、保留にしておいてよかった。
まさしくここもカガセオの星信仰の名残。
そして、今日という日にご縁のある仲間が集う場が整えられ、祭りの日にここへ来れるよう導いてくれた大いなる存在に感謝です。