本日は、二十四節気の立冬、七十二候の山茶始開(つばき はじめて ひらく)。
そんな立冬の太陽が輝くお祭り日和でした。
初めて訪れた、岩屋観音と岩穴観音。
同じ六ノ里をルーツにもつ、れらさんの直感の旅にわたしも響命し、立冬祭としてご一緒させていただきました。
岩穴観音の前には、ちょうど椿が咲き始めてて、冬の訪れ(音連れ)を暗示してたり。
まずはその素晴らしい場所の写真をお見せしながら、そこで感じたことを含めていろいろ書いてみようと思います。
ひとつは、岩屋とか岩穴という祭祀空間について。
縄文人は洞窟で祭祀をしていたとか。
巨石群も、古墳も、空洞になった空間にある種の神秘性を感じていたように、現代人であっても穴があったら入りたい現象で、胎内潜りしたり洞窟探検したり、こうなんか言葉にできない安心感と幸せな気分になりますよね。
あれはやはり、胎児だった頃の記憶で生まれ直したり、まだ言葉をもたなかった自分のそのときの多幸感が滲み出て来るからだと思うんです。
そして、ただの穴ならそれだけですが、もっと深いのは、光に関係してきます。
大地母神と太陽神。
この二つはセットでなければなりません。
その洞窟に太陽光が射し込むか否かで、その後に祭祀空間となるかどうかが決まります。
岩戸の巌窟観音は、南西向きに岩窟の入口が開いてました。
https://fuhgetsu.hatenablog.com/entry/2021/11/05/190200
今回の、坂祝の岩屋観音は南向き、美濃加茂の岩穴観音は東向きで、どこに行っても太陽光が射し込んで神秘的な空間が浮かび上がる体験をさせられます。
これは偶然ではありません。
記紀神話では、アマテラスが岩戸に閉じ籠もり、神々が難儀して誘き出す始末。
この説話は、冬至の太陽であるとか、皆既日蝕だったとか、いろんな説が飛び交ってますが。
わたしは、金山巨石群や恵那蛭川の巨石群で、太陽のスポット光が岩屋の薄暗い空間に射し込む神秘さを体感し、そこで感じるエネルギーがあります。
太陽光という男性エネルギーの象徴が、母なる大地の子宮である岩屋の空間という女性エネルギーの象徴と、調和してまぐわう。
そこに生命誕生のエネルギーが渦巻く。
そういった古代太陽信仰の祭祀空間が破壊されたり、塞がれてしまい、光が閉ざされてしまった時代のことだと思うんです。
しかし、そうすることで世の中が不安定になって、在地の古くからの信仰を完全に禁止するわけにもいかなくなって、閉した岩戸を再び開いた時代があったことを暗示しているのかもしれません。
大和朝廷の支配がおよびにくい山間部の奥地では、まだ当時はしばらくそうした祭祀がつづいていたのではないでしょうか。
やがてそこに、時代ごとの流行りから別の信仰が重なって、その祭祀空間を再利用していくうちに、太陽信仰そのものは影も形もなくなって現在に至る、みたいな。
そんな窟(いわや)信仰の巨石群や、岩窟祭祀空間をよく見かけます。
もうひとつは、岩屋観音のように岩窟に観音様を祀ることが多い理由についてです。
岩窟には不動明王が祀られることも多いし、観音像も普通はお寺のお堂に安置されるものです。
不動の滝というくらい、不動明王は滝につきもので、洞窟など水にまつわる場所に多くある。
滝といえば瀬織津姫。
岩屋観音は全国にあるみたいだけど、滝にはない。
だけど、ぴったりイメージが重なるのは、岩窟と聖母マリア像なんです。
石徹白の宮川にある御手洗大岩の瀬織津姫は、なぜかマグダラのマリアや聖母マリアの性質をもつ理由がここにあるのかもしれません。
観音菩薩は仏教なので、そのルーツはインドですが、男性神としての菩薩でした。
中国で慈母の性質に変えてしまい、それが奈良時代に入ってきました。
そのときすでにマリアと重なるイメージが根付いていた可能性があります。
だから、岩窟という大地母神の子宮に、慈母のエネルギーを感じた先人たちは、仏教寺院ではなく、古代からの祭祀空間だった岩窟に観音像を安置し、観音というエネルギーを増幅させて、地球全体にそのエネルギーを開いていったのではないかと感じました。
感謝 拝