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収束宣言

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新型コロナウイルスの発生当時を振り返ってみると、パンデミックという先の見えない不安の中で取り沙汰されたのが スペイン風邪 の再来というレトリックではなかったか。
しかし、そのときはまだスペイン風邪のように、第一波より次に来る第二波が危険とされ、第三波で収束するとみられていた。
だから今、なぜに第五波とか第六波とか、ワクチン打っても終わらないと騒いでいるのか、もっと冷静に考えないといけない段階だと思います。
もちろん、海外と日本では雲泥の差があることも事実。
世界中でミクロの視点に陥り、マクロの視点で見れなくなってないか。
見方によっては、もう収束したと判断できる、ただの風邪なのだから。

 

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それでは、改めてスペイン風邪のときはどうだったのかを検証してみましょう。
まず、当時どのように発生しどのように収束したのかを、ちゃんと知っておいた方がいいかもしれません。
ただし、長い時間かけていろんなところで検証されながらも、正確な死亡者数もわからない全く不明なウイルスということが前提です。
大事なのは、いったいワクチン無しでどのように収束したのか。
当時は軍事機密で、最近までわからなっかた新たな事実など、どうぞご参考までに。

 

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スペインフルの第一波は1918年の3月に米国とヨーロッパにて始まります。第一波は感染性は高かったものの、特に致死性ではなかった。しかしフランス、シエラレオネ、米国で同時に始まった第二波は10倍の致死率となり、しかも15~35歳の健康な若年者層においてもっとも多くの死がみられるという、過去にも、またそれ以降にも例のみられない現象が確認された。1919年の始めに第三波が起こっており、一年のタイムスパンで3回の流行がみられた。これらの原因については多くの議論がありますが、これらの原因については残念ながらよくわかっていません…

もちろん当時は抗生物質は発見されていなかったし、有効なワクチンなどは論外であり、インフルエンザウイルスが始めて分離されるのは、1933年まで待たねばならなかったわけです…

インフルエンザ・パンデミックに関するQ&A(IDSC 国立感染症研究所 感染症情報センター)
http://idsc.nih.go.jp/disease/influenza/pandemic/QA02.html

 

スペイン風邪は、アメリカの米軍キャンプで発生し、第一世界大戦で欧州に派遣された兵士を介して、世界に広まったとされている。ドイツ軍が地下壕で米軍と戦った1ヶ月後、ベルリンでは週に500人が死亡した。しかし流行の第一波が収束した直後に、ウィルスはさらに凶悪な姿となり、世界3大陸で同時に出現する…

米軍キャンプで偶然に出現したものではなく、しかるべき必然性のもとに生み出されたと考える学者たちもいる。さらに、ガス兵器の使用による呼吸器の損傷が、ウィルスの侵入を容易と爆発的な繁殖をもたらしたといわれる。1918年にスペイン風邪の大流行をもたらしたウィルスの正体とは?…

スペイン風邪 大流行 ~1918年の教訓~ | BS世界のドキュメンタリーNHK BS1
http://www6.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/?pid=100115

 

米国発症にも関わらず「スペイン風邪」と呼ばれるのは、第1次大戦下で参戦国が一斉に情報を機密扱いとしたことに対し、中立国スペインの状況ばかりが大きく報じられたことによる。今日、中国がことさら「武漢発症」に敏感な態度を取り続ける理由でもある。また、当時の新聞をくると、対策として講じられているのは「患者の隔離」「密集地の回避」「マスクの着用」さらには「休校」や「イベントの中止」など、現在と何ら変わるところはない。それにしても、スペイン風邪がヨーロッパで猛威をふるうなか、なぜ、ベルギーのアントワープで第7回オリンピック競技大会が開催できたのだろう。素朴な疑問をもつ…

スペイン風邪第一次世界大戦からの復興 ~1920年第7回アントワープの光と影 - オリンピックの歴史を知る - スポーツ 歴史の検証 - 特集 - 笹川スポーツ財団
https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic/25.html

 

鼻水、咳、発熱などの「感冒症状」だけからでは、通常の「風邪」とインフルエンザは区別できない。綿棒検査をしないと診断できないインフルエンザは、「検査病」ないし「ただの風邪」に成り下がったと言えます。なおPCR検査をしなければ風邪と見分けがつかない新型コロナも、重症化しない大多数にとっては、インフルエンザと同じく「検査病」ないし「ただの風邪」です…

米国軍隊でのスペイン風邪は、アスピリン薬害だった。スペイン風邪では、若年世代の死亡率が突出して高くなり、大量死の理由になっています。したがって、なぜ若年世代の死亡率が高くなったのかが説明できれば、大量死も説明できる、という関係にあります。ところが21世紀になって、若年世代の死亡率がきわめて高かった米国軍隊では、アスピリンが大量死の原因だったと指摘されました。世界初の「合成薬」である解熱・鎮痛剤「アスピリン」は、優先使用がゆるされた軍隊で、現在「中毒量」とされている薬量がどしどし処方され、その副作用で大量死が生じたというのです…

近藤誠の重要医療レポート|近藤誠がん研究所セカンドオピニオン外来
https://kondo-makoto.com/report/report014.html

 

このときのインフルエンザ・パンデミックでは、20〜40歳代の死亡率が高く、年齢別の死亡率をグラフにすると「W」字型になること、急性で重症の肺炎、鼻からの出血、皮膚が青紫に変色する(チアノーゼ)といった特徴を持っていた。こうした症状は、新型コロナでもみられるサイトカインストーム(異常な炎症応答、免疫応答)だった可能性が示されている…

1918年の「スペイン風邪」はどう「収束」したのか:新型コロナの波と比較する(石田雅彦)
https://news.yahoo.co.jp/byline/ishidamasahiko/20210929-00260596