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トウネズミモチの木の下で縄文の狩猟採集について考える会

縄文の狩猟採集について考える会、というタイトルの、ただの思いつきの長~い独り言ですので、けして全部読むようなことはなさらず、てきとーにスルーしてくださいね。

 

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わたしは、仕事が名古屋で実家が岐阜のため、その中間の一宮のさらに郊外に住んでますが、そんな土地でも田舎暮らしはできます。
コロナでマンボウや緊急事態になろうと、それまでと同じようなことが普通にやれなくなったことは多々あれど、それ以前から自分がやってきたことにはさほど影響もされず、それどころか今まで以上にやりやすくなったことがたくさん増えて大忙しかも。
いつも休みともなれば、こんな晴れた日にゃあだいたい何処かの山の中にいたり。
平日の日頃は、スマホで指も小さい箱に合わせて動き頭も電脳化されちゃうから、電波の届かない場所へ避難したり。

 

そんな感じでじっとしてるより天気が悪くても出かける方ですが、天候に合わせて農家や漁師のように家仕事にまわることもある。
今日はいい天気で、昼からは外の方があったかい一日。
高層雲がかかって幻日とか環天頂アーク日和だし、庭に出て空の下でピクニック。
ではなく、収穫した トウネズミモチ の実を風に晒して天日干ししながら、脱穀のような実をひとつずつにバラして選別する作業のつづきをしてました。
これがまた仕事だったらやだけど、ただやってて楽しいからやる!のです。
ここが重要なので、このあとも長文となりますが、思いついたままを綴ります。

 

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旧正月新月に合わせ、剪定がてら枝ごと実を落とし、実の塊となってる房を枝から外し、できるだけコンパクトにして集めたものをバケツにためて、陰干しで乾燥させる段階まできました。

https://twitter.com/fuhgetsu/status/1487802233043681281


これをフライパンで煎って トウネズミモチコーヒー を作る計画ですが。
収穫後、バケツにたまった底の方が心配で、時々混ぜたりしながら乾燥させてましたが。
晴れた休日に何度か天日干しがてら庭で広げて、コロコロと転がしながら煎るために、もう一手間のバラし作業をしないといけません。
まだ房から取り外しきれてない塊が多くて、その分カサも増すので房付きの実を見つけ次第、怒涛のようにプチプチ外すのですが、このプチプチが心地よくずっとやってられるのです。
ここまで来たら変態かと思うくらい。
でも、こういう作業を誰からも教わらず、初めてのことを、こうしたらいいだろうかとか、こうしないと次にいけないからと、考えながらする作業が楽しいのです。
そんな手作業は、今の時代なかなかできないし。
トウネズミモチの需要なんて滅多に無いから、その道具すら何もない。
唐箕があったら簡単なのに、とか。
選別してクズを払うのに、メッシュの作業シートを轢いて、キッチンのパンチボールでコロコロしながらゴミと実を遠心分離させて、上の方の実を集めたり。

 

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こうやってると、田んぼで手植えしてるときも瞑想状態になるけど、似ているなぁとか。
いや、田んぼは弥生式の秩序だった流れ作業だけど、今やってる手作業は縄文式の瞬間ごとに直感でやるから、使ってる脳も違う場所だろうと思った。
そして、好きなことなら同じ作業のくり返しでも、こんな細かな作業なのに集中して黙々とやりつづけれる感覚は、わたしがADHDの素質があるからだと思ってます。
健常者的に見た貨幣経済社会からは、ADHDという病名で障害者扱いだけど、それは絶対違う。
この社会に適合できない人たちこそ、次に来るべく未来の新しい社会を担っていく人たちだから。
そうゆう本来ある優れた才能を軽視した社会から天才は生まれないから、どんどん衰退して劣化してるのがよくわかるでしょ。

 

世の中がベーシックインカムになったら働かないやつが出るからけしからんとかいって反対する人が多いけど、多くの人が働きたくもない仕事を一生させられる方が社会全体として効率が悪いだけだから、わたしはベーシックインカムに大賛成。
別にそんな嫌々の仕事してまで働かなくてもいいし、せっかく生まれ持った才能をもてあそぶくらいなら、多くの人が好きなことをやりつづけて才能を開花させた方が、めちゃくちゃいい世の中になるに決まってる。
人がやらないような仕事は誰もやらなくなるじゃないかという批判があろうと、本当に必要な仕事であればそういうことこそやりたいっていう人だっているに決まってる。
それでも誰もやらないよう仕事は、最初っから必要のない仕事なんだから、消えてしまえばいいだけだ。

 

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だからわたしは、縄文人たちはみんなADHDだったに違いないと思うんですよ。
だって、あんなすごい土器を作った文明だもの。
金山巨石群の天体観測技術だって、どうやって巨石を動かしたり、そうなるようにどうやって組んだのかとか、どうやって天体を理解したのか、じゃなくて。
毎日毎日ずっといつも空ばっかり見てて、好きなこと楽しいことをとことんやって、何世代もかかってそれを遊びながらやってたら知らないうちに出来ちゃった、に決まってるでしょ、そんなこと。

 

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実は先日の、岐阜県博物館のオンライン講座 縄文時代の精神世界 でも、同じようなことを考えていた。

https://twitter.com/fuhgetsu/status/1490330413013008384


遺跡から出土する考古学で、当時は狩猟採集生活だったことは誰もが知るところだけど、講座では詳しくその様子をきいた。
縄文人は肉食の狩猟がメインに思われがちだけど、植物食の採集がメイン。
採集といっても、それは農業をはじめる前の野蛮人的な差別をされがちですが、農業より大変な作業を工夫しながらやってたので、どっちが上とか下とかありません。
農業をやらないからといって、ただ自然界で実ったものを獲っては食べるの単純作業じゃなくて、多くはドングリなどの木の実をたくさん集め、クルミのように渋皮さえ取ればすぐ食べれるものは水を張って貯蔵して、渋皮を剥がしやすくする作業。
ドングリなど中に虫がいるものは中身が食べられる前に、水中に貯蔵して窒息させ、同時にアク抜きをしての一石二鳥で、食べやすくする工夫をしたり。
世界で初めての発明品だった縄文土器も、アク抜きしたドングリを次に煮沸するために使われて、そのあとさらに水晒しをするなど、一手間も二手間もかけ、贅沢で美味しい豊かな食生活をしていたのです。
岐阜の縄文といえば、飛騨がすぐに思いつきますが、今回の岐阜県博物館の展示 岐阜の縄文世界 ではポスターにもなりメイン展示だった縄文土器は、ダムに沈んだ徳山村のもの。
揖斐川の上流域も、縄文文明のメッカだったことをようやく知りましたが。
ずいぶん前に観た、地元出身の映画監督、大西暢夫作品 水になった村 でわたしがもっとも衝撃を受けたのは、古老たちの暮らしぶりが縄文時代から何も変わらない、生きた縄文文明を継承している人たちだと感じたことです。
山や野から、それこそ狩猟採集して、冬場の保存食まで蓄えて、年中そのときどきの仕事を毎年やりながら、ずっと豊かに暮らしていたのです。

 

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そんなことや、あんなこと。
ぜんぶひっくるめて、今わたしがやってるこの手作業も、そんな採集という暮らしの豊かな流れの中にあるのだな、と考えてるうに。
日が傾き始めると急に寒くなり、手元の作業も気が済むまでのエンドレスで、キリがないからまぁ今日はこれくらいにしといてやるわ、と自分にキリをつけて終了し、さっと片付け家の中に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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