月音(つきのね)∞風音(カヂヌウトゥ)

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尾張のハグリだった柳津の聖徳太子寺と穴太部古天神

境川の北側にある茜部の長森縣神社から、境川を越えて南側、その昔は尾張葉栗だった柳津の地へ。
そこで聖徳太子にまつわる伝承地を辿る。

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光澤寺は、6世紀に聖徳太子が創建した太子寺。
その鎮守として、境内に穴太部(あなほべ)神社を創建したと。
つまり、穴太部天神を祀る式内社尾張国葉栗郡の穴太部神社のことだ。

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ここがその有力な論社として、祭神として古天神の天穂日を祀ってること、聖徳太子が由来となってることから極めて説得力がある。
式内論社のもうひとつは、木曽川下流へ南下した一宮の玉ノ井にある賀茂神社だ。
地名に穴太部があるくらいで、こちらの由来は薄っぺらく祭神からも消えている。
強いていえば、先に述べたように木曽川の流路変更により一時的に玉ノ井へ遷座していた時代があったかもしれないということだ。

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ではこの気になる名前、穴太部(あなほべ)とは何か。
聖徳太子の母の名が、蘇我の血が入った穴穂部間人(あなほべのはしひと)なので、そういうことだろう。
近江の高穴穂宮は、日本書紀には景行〜成務〜仲哀天皇の三代の皇居として伝わっているが、もっと遡った時代。
聖徳太子と穴穂部間人の一族は、近江の大津穴太(あのう)に高穴穂宮をつくり、離宮として住んで居た可能性があるのだ。
そこから、有名な近江の石工集団、穴太衆(あのうしゅう)が出ているが、そういうことだ。
当時の聖徳太子が実際に美濃の柳津(当時は尾張の葉栗)に来たかどうか。
ここは東山道だからその可用性はじゅうぶんにある。
では、その目的は何であったのかだ。
東国や美濃に蘇我氏聖徳太子の荘園があることから母系のルーツがあると踏んでいる。
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聖徳山 光澤寺
岐阜県岐阜市柳津町本郷2丁目17
https://maps.app.goo.gl/Va1AUbefXJ8nmRiJA

以下、聖徳山光澤寺 由緒の石碑より
当寺は、聖徳山一城院川並光澤寺と称し、真宗大谷派に属している。
寺伝によれば、聖徳太子の創建と伝えられる。推古天皇六年(五九八)聖徳太子二十五歳の時、第五の后(蘇我馬子の娘)が懐妊され、その安産祈願の為、当寺を建立された。その時生まれられたのが、山背大兄皇子である。
太子建立の四十八の寺院のうち、第三十八番にあたる。
その当時は、太子寺(たいしじ)と称した。
その後、平安時代天台宗の寺院となり、耀仁寺(ようにんじ)と称した。
鎌倉時代、柳津源太有光(源頼親の孫)、柳津三郎光重が当地に住まいし、往持も務めていた。嘉禎元年(一二三五)四月、親鸞聖人が関東より京都へ向かわれる時、当寺に三日間逗留され、光重は御化導をうけ、弟子となり、浄土真宗に改宗した。寺号も光琳坊(こうりんぼう)と改めた。その時、当寺は、柳津地内、字一ケ城にあった。光重は、法名を信光といい、文永二年(一二六五)入寂。以来連綿と法灯を伝え、現在二十八世となる。
天正二年(一五七四)正月、織田信長に堂宇を焼き払われる。
慶長十一年(一六〇六)、現在地へ移転再建される。
文三年(一六六三)、光琳坊を改め、光澤寺と称する。

以下、柳津城趾の案内板より
戦国時代には、木曽川の本流は今の境川あたりを流れ、要所には大小の城がありました。
その当時、ここに柳津城があったといわれています。旧柳津村には一ケ城・七ケ城という字名があり、ここには柳津城の出城や砦があったと思われます。
柳津城主は竹腰摂津守といわれていますが、一五五六年(弘治二年)長良川の合戦で戦死し、その後、叔父の成吉摂津守が城主になりました。成吉摂津守は斎藤義龍の武将さらには龍興の重臣として仕えていました。
当時、尾張国であった柳津まで美濃の勢力が及んでいたようです。

 

柳津 天神神社
岐阜県岐阜市柳津町北塚2丁目27-2
https://maps.app.goo.gl/VefbZFGpNEctfdyRA

以下、金幣社 天神神社由緒の石碑より
祭神:
古天神(天穂日命
菅原道真
由緒:
元穴太部神社は光沢寺の前身である太子寺の鎮守として聖徳太子の頃創建されたと伝えられ、千年以上の昔から葉栗郡一五座の筆頭神社として崇拝されていた、江戸時代までは光沢寺の管理であったが、明治元年神仏分離により総氏子の手に移った。
元北天神社は清和天皇の皇子貞純親王の子孫源頼定が緒国武者修行に出てこの地に移り住み、加賀の武士戸田越後守に武道を教えたお礼として戸田家の什宝、沈水香木(白檀)を貰い受け、日頃厚く信仰須する学徳高い道真公の像六体を彫刻し、弘治3年(1557)2月25日六社を建立した内の一社である。
元中天神の鎮座地は柳津村字中宮東であって尾張地名考によれば北天神と共に厚く崇敬された神社である。
昭和20年7月5日 右三社を現在地に合祀し、昭和29年5月神社名を天神神社と改称した。

 

 

 

 

 

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境川=美濃尾張の茜部に長森の縣大明神を遷す

長森の縣の社を遷す。
それがどうした、となるかもしれませんが。
その場所は、木曽川の旧本流だった境川沿いにある茜部神社のすぐ西隣にある。

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そこからすぐ北に式内社比奈守神社があるが、その論社は遠く離れた長森の手力雄神社
同じ神社が二つあるはずはないという常識が通じない、この地域ではあり得る文化なので、現在目の前に見える風景からは忘れ去られるか気にもとめられない、考えただけではただの謎に包まれてしまうことでしょう。
それくらい長森という土地に絞って歴史を掘り下げても見えにくくなってるからこそ、遠く離れた茜部に偏在する意味を重く受け止めている。

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ここへ来るのは二度目だが。
長森の縣大明神は、日子坐(ヒコヰマス)王だ。
そう直感した。
イニシキイリヒコと物部の金華山南麓にある長森の実家と、木曽川を挟んだ自宅を往き来する中で、県庁近くへ用事がありたまたま通りかかり、呼ばれるようにまたここへ来ることができた。

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古代東山道鎌倉街道中山道、鮎鮨街道、と様々な道が交差する交通の要衝となった川文明。
ここが美濃尾張
現在、岐阜愛知を隔てる県境が木曽川となってるけど、江戸時代までは岐南より北の境川が本流で、美濃尾張を隔てていた。
尾張の中嶋(尾張古図にある中之島)と葉栗(縄文語のハグリ)が、江戸時代に最後の大洪水で本流が南下。
中島と羽栗の一部が美濃側の領土となり、その後の合併で羽島地名が生まれ、岐南笠松羽島郡だったことからわかるように、もともとは尾張の領土だった。
式内社などの古い神社は、境川から北にあれば美濃国厚見郡、南なら尾張国葉栗郡と覚えるといい。
現在の境川から木曽川までの南北間は、固定されないまま本流の位置が流動するエリア。
それこそが、ハグリという縄文語の意味なのかもしれない。
だからこそ、屋根の軒下に船をぶら下げ、半定住の生活様式で水没による集落の大移動が度々起こり、常に歴史を動かすような固定化されない神社の遷座がくり返されたことは、必然であり、想像に難くない。

 

縣神社 (あがたじんじゃ)
主祭神:県大明神(あがただいみょうじん)

住所:
岐阜県岐阜市茜部野瀬3丁目249番地
https://maps.app.goo.gl/W9wjRbrGcnMZmVXe7

由緒由来:
永和元年六月一日鎮座。永和元年六月朔日長森縣の社を遷す。伝記に曰く、縣大明神は武内宿禰十四世苗裔参議左大辨紀家守は延暦三年美濃に任國の時、征夷大将軍多治比縣守の孫大内紀縣則の子を猶子と為て検校太夫紀縣守と曰ふ。美濃國に住す。貞観十五年八月十五日卒す。壽百八歳。其の後平治年中渋谷金王丸之を崇め縣大明神と号す。葉栗郡中島郷に縣神社あり。

縣神社詳細 - 岐阜県神社庁
http://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=985&shrname=%25E2%2598%2585%25E7%25B8%25A3%25E7%25A5%259E%25E7%25A4%25BE%25E2%2598%2585

 

 

 

 

 

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タイトゥンアップの原曲/酒飲め坂本、改め、坂本ソッコーでやれ!

こちらは、Archie Bell & The Drells の Tighten Up 原曲(1968年)です!

タイトン・アップ  アーチーベル & ザ・ドレルズ
https://youtu.be/TedcoUJ2d3M


www.youtube.com

つづけてカバーをよくお聴きください。
ちなみにここんとこ…

タイトゥンナァッ高橋♪
酒飲め、坂本♪

じゃないよ!

Tighten up, Takahashi!
Sock it to me, Sakamoto!
Hurry up with the bass, Papa-san!

Yellow Magic Orchestra - Tighten Up (Japanese Gentlemen Stand Up Please!)(1980)
https://youtu.be/wijrWMd9wvQ


www.youtube.com

さらにリミックスバージョンでどうぞ!

Tighten Up - Extended Dance Mix 2020 -
https://youtu.be/76Hrlc1kkdI


www.youtube.com

 

高橋、締め上げろ!
坂本、ソッコーでやれ!
パパさん、ベース早くして!

 

 

 

 

 

そんなわけで春分ですね

地球は太陽のまわりを1年かけて公転。
公転軌道している円の長さは9億4000万kmです。
では、ググるのでなく、ここで苦手な計算をちゃんとしておきましょう。
940,000,000 ÷ 365 = 2,575,342.4657534247
つまり1日に260万km進み、これを24で割って時速にすると、
2,575,342.4657534247 ÷ 24 = 107,305.9360730594
公転スピードは時速11万kmですが、さらに実感する距離感で秒速に換算すると1秒間に30kmも進んでるということです。
ちなみに、太陽が天の川銀河の中心を1周する太陽の公転スピードは秒速220km。
その天の川は秒速600kmで…

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次に、地球は1日に1回転してますよね。
地球1周の距離は4万km。
それを24時間で回転してるので、40,000 ÷ 24 = 1,666.666…
つまり、地球の自転スピードは時速1,700kmで、秒速でいうと460mも進んでることになります。

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が、しかし。
それは赤道直下での話なので、要注意。
日本辺りの緯度で、時速1,400kmとなります。
地軸の両端、極地の南極点と北極点は時速0kmです。

もうちょっと緩んだ頭を混乱させてみましょう。

北極点に立つと、どこを向いても南を向いていることになります。
また、南極点に立つとどこを向いても北を向いていることになります。
太陽が昇ったり沈んだりせず、西も東もない地点がある、ということです。

また、赤道上では万有引力が遠心力によって最も弱められるため、重力は最小となります。
一方、北極点や南極点は回転しないので遠心力が0で、重力は最大となります。

なんと同じ地球の上で、北半球でいえば北方の人たちと赤道辺りの南方に人たち、またその中間のわたしたちで、起きていることが違う。
その逆が南半球にもあって、そういう影響をそれぞれが受けているということです。

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といっても、最後の部分は太陽系の惑星での僅かな差異であり、宇宙全体から見ればっていう話に戻しますよ。
とにかく、わたしたちはものすごいスピードでこの宇宙空間を移動しつづけてるわけで、昨日のわたしと今日のわたしはもう別人なくらい、違う場所、いや宇宙空間を旅してきました。
とてもやばいですね、これは。
こんなこと時々考えたりもしますが、普段は鈍感すぎてまったく気づきません。
古代人とか縄文人とか、ムーやレムリアなんて、もうすでに宇宙人でしょ。

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陰陽和合の大調和 みとのまぐわひ

みとのまぐわひ

今やタブー視される性交ですが、日本書紀古事記にはこの言葉がちゃんと書いてございます。
おおらかだったこの国では、イザナミイザナギの二神がどのように行ったのか、それも具体的に記されているのです。
まぐわい、と、みと、の二つの言葉からなる。
最初にこの言葉を知ったときには、みとって何だろうと思ってました。
まぐわうは、調べるまでもなくわかりますが。
目合うとも書き、目が合うことが語源のようですが、交わり合う交合、つまり性交の意であり、みとのまぐわいで婚姻の意となります。

古事記では美斗能麻具波比(みとのまぐわひ) と書きます。
この美斗(みと)について調べたとき、あまりにも多くの説があり惑わされました。
御所(みと)のことで、御寝所、つまり寝床を意味するとか、美という美称に対する斗(と)に関しては入口とか、いかにもそれらしい事柄が書いてあり、広辞苑ですら陰部と書いてあるから、古語辞典は女性器、隠語辞典ではまんこの古語であるとまで書かれる始末。
古事記は訓読みで漢字に意味が無いのに、あれこれ妄想しすぎ、飛躍しすぎで、この有り様。

日本書紀では遘合爲夫婦(みとのまぐわい)と、ちゃんと書いてあるではないか。
漢文だから、夫婦(みと)と遘合(まぐわい)が逆順になってるけど。
みとは、めおとの夫婦のことでいいのでは。
よって、みとのまぐわい=夫婦の性交で、婚姻を意味する、と。
そんなに難しく考える必要はないよね。
みとのまぐわいは、女性性と男性性が陰陽和合するという宇宙の大調和なんだから。


とにかく、こおろこおろのオノマトペで表現されるような、ぐっとくるシーンが連続する国生み神話から神生みへの展開が尊くて美しく、記紀神話の中で一番好きな部分です。

 

 

 

 

 

甲野善紀と山元加津子の出逢いとわたしという宇宙の大いなる気づき

朝日遺跡パレススタイル土器のつづきがあります。
日曜はわたしにとって二大巨匠の講演会という二本立て。
たまたま同日に、しかも車で10分しか離れてない距離で、片方の終了時間と次の開始時間の差が30分という、これはどちらも参加しなさいという流れだったので、分刻みでタレント並の移動となった。
というわけで、北條芳隆氏がいる清洲市民センターから、甲野善紀氏がいる平田寺へ。
なんと豪華な流れ。
意図してできるものではございません。
天からの授かりものとしか。

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まったくジャンルの違うお二方というより、わたしにとってはこれがまたすんなりとどこかでがっつりつながってるような。
考古天文学古武術という違いはあるものの、そのお人柄やモノを観る視点の持ち方からその感性やら、どこか共通項が並んでます。
甲野先生といえば、以前は名古屋で実演メインの道場にも行ったり。
平田寺ではお話会がメインとなる恒例の開催で、チャンスとあらばいつでも行きたいと思いつつ。
もちろん有料ですが、こちらも当日連絡なしで来てもいいときいたので後押しされるかのようにたどり着く。

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今回、話のテーマにかっこちゃん(山元加津子)のことが書かれてたし。
この意外な組合せに、どんな話となるのか気になってたのもある。
マイク無しの小声だから聴き取りにくいところがあっても、それはそういうことだ。
同じ空間にいるだけで伝わってくることがいっぱいある。

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時折、実演も挟みながらの、この贅沢な時間を味わう。
身体の中のエネルギーの流れ。
氣のようなもの。
言葉では簡単だけどいざ実践となるとなかなかできない。
そのコツというか、複雑にしてしまってる身体を、体感としてほぐしながら解除してくれる。

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そのお話しも面白いし、常識に縛られた頭と身体からどうやって離脱するか、非常識の中に極意がいっぱい潜んでて、それを意識してか無意識か、軽々と身をこなす人もいる。
無限の可能性を秘めた宇宙は、自分自身なのだ。

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なんか、具体的な言葉や実演で教えてもらってるんじゃなく、聴き取れなくても、頭でわからなくても、身体が動かなくても、ふとしたきっかけで中に入ってきて、突然こういうことなのかって気づかされるんだよね。
とにかくそういう、すごいお方なんです。

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大好きな甲野先生からは、何かこう具体的なことでなく、いつも全体を教えてもらいながら、自らの大きな気づきをいただいてます。

 

 

 

 

 

考古天文学の4次元から見たパレススタイル土器

土曜は両親の介護関係で一日動き、日曜の昨日は一人単独で遊び回る。
西の吉野ヶ里遺跡に匹敵する同時代の弥生遺跡が近所にある。
清洲朝日遺跡だ。
そこで発掘されたパレススタイル土器の一つに新たな説が浮上し、博物館でなく市民センターで大々的に発表される講演会があるという。

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しかも、考古天文学北條芳隆氏による大発表が。
それも無料で整理券なし、当日に来ればいいと。
直前まで予定入れずの生活だったので、やることやったご褒美に、自分の身体を連れて行ったのでした。

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講演内容はわたしにとって何ら難しいものでなく興味津々のオンパレードとなるプロジェクターと解説で、北條先生の話し方は丁寧でわかりやすく、心地よくすんなり入ってくるんだけど、その内容は鋭い視点と抜かりない考察による結論で、すでに推論を超えた実証済みの答えなのだ。
異論など挟む余地もない。
そこがすごいところ。

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たとえばわたしなんかが、言葉で残されてない古代遺跡から何かを感じたとする。
そのとき、そう思う、という直感だけでは、下手な知識が頭をよぎって邪魔をした単なる勘違いの場合であっても、それが実は間違ってるということに気づくのに相当時間がかかったりする。
だからあんまり本読んだり勉強しないようにしてるんだけど。
例えば、春分秋分の日出が猿投山に向いてたら、もうそれしかないと決めつけ、他の視点は見なくなり、多少ズレが生じても許容範にしてしまいがち。
その誘惑から一旦距離を置き、なぜずれが生じるのかを視点を変えて総点検し、さらなる可能性を搾っていく中で流れが大きく変わることもあるし、他に可能性がないなら最初の直感に従ってそこに落ち着くこともあるでしょう。
今回の話は、赤塚さんと白川さんによる論証がベースにあり、北條さんがさらに固めてまとめあげたような素晴らしいチームワークを魅せていただきました。

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そして、長い氷河期が終わり縄文海進の温暖化や弥生の寒冷化は有名だけど、実は弥生時代にも安定した気候の時代が中期まであり、後期から急激な気候変動が起き寒冷化、その最中にこの土地でパレススタイル壺が作られたのだと、そういう生活スタイルや精神世界まで変わる激変の時代に、太陽と月に希望を託して暦を読み、祭りをしたであろうという見解にも涙が出るほど感動。
さらに、八日市地方遺跡の弥生人の鹿の見立てがすごかった。
鹿で暦を表現ってもうアートの世界だし、その絵解きの理解力もきいてて驚きの連続で流石すぎます。
とにかく、以前に吉野ヶ里では冬至満月という発想に切り替えると北内郭の軸線にピタリと嵌まった話をきいていたので、今回の話もすんなりなるほどとなったのでした。

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古代は太陽という決めつけより、水稲農耕がはじまった弥生時代には、同時に入ってきたであろう太陰太陽暦として、太陽と月という視点が重要となる。
先日投稿した小正月の話も、元を辿ればこの冬至満月の祭りに行き着くと思ってます。

https://x.com/fuhgetsu/status/1761067935043567862

そしてまた、北條さんがこの朝日遺跡のきっかけとなったのが貝輪だったこと。
赤椀の世直しの、ゴホウラだ。
赤椀とは、つまり、尾張のパレススタイル土器のことだ。
それで、冬至満月の吉野ヶ里と、朝日遺跡は暦でもつながっていたであろうと。
このパレススタイル壺の謎解きはこれですべて解決したわけでなく、実際にどっちの向きで埋まってたかも検証しないといけないし。
赤い弁柄(ベンガラ)の塗料はわかってるけど、それが金生山で採れたてものだとベストだとわかったけど、初の発見となる黒丸の塗料が何であるか。
わたしは天然アスファルトのコールタールとか、漆黒なんじゃないかと思ったけど、専門家が4人並んでもわからない状況でした。
重文となる前に、ぜひ分析していただきその結果を待つしかない。

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そして、最後に自論ですが。
パレススタイルと名づけられた赤彩土器。
いずれにしても、古代において死生観の聖なる色としての朱や赤という特別な意味を感じます。
土器や壺という形状からも、このカタチには母なる大地の子宮という意味もあるだろうし。
そこにしるされた紋様が暦であるだけでなく、縄文由来の宇宙哲学1のまわりの12と、その収束と拡散エネルギーの陰陽を現しているシンボルとも受け取れますね。

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楽しいことは、どんだけ考えても終わりません。
岐阜でこれまで関わってきた、金山巨石群朝鳥明神冬至とも深く関わる考古天文学の世界。
恵那蛭川での新たな巨石群での調査もこれからだし、とにかくまだまだ楽しみがいっぱいすぎて困ります。

 

 

 

 

 

ゴジラマイナスツーがある予感

遅ればせながら、カミさんリクエストに便乗し、こちらをレイトショーで観てまいりやした。

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名作ばかりで、たまには息抜き。
話題の邦画、しかも実写、海外で評判、期待は禁物ながらこの目で確かめたいのと、好奇心で。
みましたよみました。
たしかにそうでしたが。
まぁ、賛否両論あってもいいでしょう。
いいとこわるいとこあり。
褒めすぎても貶しすぎてもよくない。
これはこれで、映画館でないと味わえない。
そういう意味でも、わたしにとって久々の、邦画がアニメだけでなく実写でも耐えれるクオリティにあることを証明してくれたのだから。
いろいろ矛盾だらけですがそんなこたぁ目を瞑るとして、内容についてはそんな感想にしておきます。
映像については、CGよりこうした特撮映画っぽいVFX円谷プロを彷彿する見応えあり。
音響については、期待以上のものはなくとも、大音量の迫力はあった。
最後にいっこだけ。
なんであいつは二人を連れて逃げなかったの?
あっ、もういっこ。
ラストシーンと、タイトル。
ゴジラ-1.0は、マイナスワンと読むらしい。
これって、-2.0あるね!

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もとい、もうちょっとまともな感想も書いておこう。
結局戦争に負けた劣等感から、やっぱり武力に憧れがあるな、この国は。
そういう面は、設定から読み取れるけど。
それを差し置いても、これはあってるかどうか、監督が狙ってるかどうかわからないけど。
あえて国際的な知名度と国民的アイドルのゴジラを起用して、時期的にこの設定で映画化した理由はやはり、コロナ騒動の中で、国やGHQがあてにならないように、国やWHOがあてにならないなら民間で命を守るというメッセージだったのだなと、深読みかもしれないけど、みててそう思ったよ。

 

 

 

 

 

ひとつの映画という時の流れにシンクロする神秘体験

この日のために、今日は何も予定を入れず、一日二人で過ごしました。
二人で旅した神島にて何かを暗示するかのような神秘体験があり、その翌年に金神社にて結婚し、新婚旅行は久高島へ。
以来、28年の歳月という記念日に。
わたしたちの思春期である学生時代の頃に一生の思い出となる映画を同時体験しており、そのひとつがミツバチのささやきなのだが、そのビクトルエリセ監督の新作瞳をとじてをこの日に観ようとなった。

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内容はよく知らないまま観たけど、当然映画は映画としてよかったことはもちろんのこと。
わたしたち二人にとって、やはりこの監督とアナトレントも、同じ時を経ており、そうした時間的な距離感、同時代体験など、日本とスペインという地理的距離感もゼロで、シンクロしまくったのでした。

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舞台も、わたしたちが局面している高齢者介護施設だったり、親と子の特別な想いや感情、時代の流れ、すべてが重なる。
それをまた、映画を通じて深く体験させられました。

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その後、実家へ寄り、金神社へご挨拶しに。
旧正月以来の初詣として、おみくじもここで初めてひきました。
新しい一年、どうぞよろしくお願いします、と。

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わけわからん=ストップメイキングセンスな映画をIMAXで観る衝撃

やっぱりいいね。
音楽が人生そのものだった10代でリアル体験してる映画、ストップメイキングセンスを4Kレストアで観てきました。
しかも、IMAXでやってるイオンシネマ各務原で。

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普段行かない映画館だけど、地元の近場でもやるようになって、それが大好きな音楽映画だったから、もう感想も何も最高でした。
80年代の音楽シーン、舞台もアートも映画も何もかも輝いてた時代。
その影響を丸々受けて自分でもいろいろやってました。
トーキングヘッズについても、デヴィッドバーンについても、今更何も語ることはないでしょう。

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40年ぶりの復刻版の前に、ビデオレンタルで何度もみたし、ミュージックビデオの全盛期だったから流し見感覚なところがあったけど、長い時を経て、今この年齢でみるとやはり違った見え方がしてうれしくなる。
字幕も見やすく、戸田奈津子じゃなくてわかりやすくなってるし。

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IMAXは2回目で、前回はデヴィッドボウイの映画を名古屋まで観に行った。
音楽聴くなら断然レコードがいいのと同じで、映画はフィルムが一番いいに決まってるけど、IMAXのレーザーの発色のよさ、重低音の響く全方位からの音響空間がライブ会場の臨場感さながらに体感できるなんて、つくづくいい時代になったなぁと、同い年のカミさんと二人して、久々に映画館のよさを感じた一日となりました。

 

 

 

 

 

ミツバチのように光り輝く子供たちの魂とは

ビクトルエリセ監督。
わたしが10代で出会って、最も敬愛する映画監督の一人。
その衝撃は、この映画、ミツバチのささやきの国内上映をリアルタイムで観た瞬間からだった。

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それ以来、何度観たであろう。
テレビで、ビデオで、レーザーディスクにDVDにブルーレイの時代となっても。
この数年、リバイバル上映があったがチャンスを逃したので、映画館の銀幕で観るのは、80年代以来だから40年ぶりか。

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奥行きのあるフィルムの印象から4Kレストアとなり、時代も変わり、年齢も、考え方も、あらゆることが変わった今、あの頃とまったく変わらない魂で安心して観れる映画などなかなか無いだろう。
これだけ時間が経って変わったことと言えば、映画の時代背景に対する歴史観も知識が多少増えてるし、実際にその後スペインにも行って土地勘もあるし。
なんといってもミツバチに対する愛情がこの映画で増したから養蜂家に憧れ、今ではミツバチの生態や飼育の知識もあって、そういったシーンもガッツリ観てしまうところが、ちょっとだけ進化したかな。

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でも、それらはどうでもよいこと。
この映画の魂は、そこじゃない。
アナイサベル姉妹はかわゆいだけじゃない。
反戦を表に出さずとも、この歪んだ大人の世界を、多感な感性で影響受けながらも魂から変える力が子供たちにはある。
そう、あの神秘的なミツバチのように、静かに、しかし力強くささやくのだ。
この映画がヨーロッパらしい暗い場面が多いけど、それはより光を感じるため、未来に生きる輝かしい子供の存在を際立たせることにつながってる。

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そんな微細な光を感じられるのは映画館じゃないと。
とにかく、映画館で観ることをおすすめすします。

伏見ミリオン座にて。

 

 

 

 

 

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#タルコフスキー の #ノスタルジア を4K修復版で観てきました

やっとこれで2回目。
前回は3年前のシネマテークだったけど、その後ミニシアターとしてお役目を終え現在、新たにナゴヤキネマ・ノイとして再建中。


今回は、パルコの中にあるセンチュリーシネマにて。


タルコフスキーは高校か学生時代に惑星ソラリスを観て、わけがわからず、だけど衝撃的で、美しく、心の奥深くに突き刺さる何物かと対峙させられる。
その後何度も何度も観るはめとなり、スルメのような鑑賞方法には慣れてるけど、この監督の作品にはどこかに確実にヒットするところがあって、大好きな映画監督なのだ。
なのに、他の作品にまで手が出せず、ここ数年でリバイバル上映されたのをきっかけにノスタルジアを観たわけだけど。
当然、まったくわけがわからなかった。
印象的なシーンは記憶され、心に残りやすいけど、そこじゃない。
だけど1回目ではただそれだけ。
観光地でいえば、ただ行っただけの状態だ。


だから冒頭から、あれ?これ観たことないシーンばかりだけど、やっぱり勘違いで今回が初なのか、よほど記憶力のない頭なのか疑った。
でも、中盤から徐々に思い出してきた。
それでちょっと余裕が出て、映画の深部へ入り込もうと、雑念を消してただ観る行為に集中してみた。
4K修復版のパンフが売ってたけど、詳しい内容はどうでもいいので買わないでおく。
地名もわからず、撮影地や映画の舞台が何処なのか、登場人物の名前もはっきり覚えれないうちに映画は終わった。
そんな曖昧な記憶でも重要なのは、自分は何を感じたか、だ。
だからこのあと書くのは曖昧な記憶による印象であって、もし間違えててもそこは各自修正してください。


主人公は詩人のロシア人男性。
霧がかった景色の、イタリアの何処か田舎にある温泉街。
そこにモスクワから来たロシア人が取材のため、通訳のイタリア人女性と一緒に訪れる。
旅のはじまりは、古い教会なのかマリア信仰の宗教施設。
滞在ホテルと野外温泉が舞台の中心となり、ときどき故郷の霧がかった風景の中で家族が妙な表情で佇むシーンがクロスする。
土地で出会った重要人物が都会のローマに行って、街頭演説したまま焼身自殺するシーンは衝撃的なのに、雑踏の見物人はみな無慈悲なところが残酷すぎて。
エンディングの文字スーパーに母に捧ぐとあるので、ソ連を追い出された監督がイタリアでやっと映画撮影が出来、理不尽な世界や哀愁をひしひしと感じるストーリーではあるが。
それは表層的に誰もがわかる設定やシチュエーションであって、そうした背景を通して全体には一貫した監督のメッセージが浸透しているのが、どこかに確実に伝わってくる。


そのひとつには、霧がかる風景がモスクワに似てるとか、古代の自然崇拝に近い廃墟のような宗教施設が暗くジメジメしてたり、やたら雨が降ったり、最後はボタボタ落ちる豪雪の雪に変わる。
これはそういう土地の描写でもあるだろうけど、これだけ徹底的にやってるので相当意味がある。
一度でも晴れて、太陽の日が射すシーンは皆無なのだ。
水に、そして、闇と火。
薄暗いシーンの連続で、闇が圧倒的に多い中で、蝋燭の火が風に靡いて弱々しいにもかかわらず、とても力強く描かれる。
それは、無残な死を選んだ男が炎に包まれるシーンの強烈な火とは対照的に、慈悲深い救いの光となる。
それは崇高な祈りであり、その命そのものを暗示するかのように。
今回、そういうストーリーの中で気づいたことは、女とか女性性へのリスペクトだった。
母に捧ぐという言葉からも、それはたしかだと思う。
宗教施設で日本の田舎の古い祭りのようなシーンがあり、通訳の女性が興味深く見守る中で大地母神のようなマリアに祈るシーンがあり、そこで唯一男性である神父にきく。
なぜこの祭りは女性ばかりなの?と。
神父は、呆気にとられて答える。
女性は子供を産むからではないかと、しかし男にはわからない、そんなこときかれたことも考えたこともなかった、と。
これがこの映画のひとつのテーマというか、骨になってるなと思った。
男女の考えた方の違いや、矛盾や葛藤といったものが複雑に展開して、無慈悲でありながら物語を豊かにしていく。
主人公は監督の化身だから、そんな一人の男として描き抜かれてるなぁと思った。
というわけで、わからないことだらけの映画だけど、また次はいつ観ることになるのか楽しみだ。

とりあえず次は、ストップメイキングセンス観るぞ!と。

 

 

 

 

 

七所神社の笠寺猩々と熱田神楽

祭り好きなわたしの民俗芸能の中でひときわ異彩を放つ猩々ではあるが、昨年の国際芸術祭あいちトリエンナーレにて、わたしのアーティスト魂と祭人魂の交わるところをピンポイントで押さえた企画、猩々コレクティブに参加することで一気に密度が高まった。
そこで笠寺猩々保存会の会長さんと出会うことができた。
そのとき、来年こそは祭りをやるのでぜひ来てほしいと。
そうこうしてるうち、今年の春に地元の石刀祭りでその会長さんと偶然にも再会。
向こうが来たからには、秋の笠寺猩々にはぜひともとなっていた。
それが、先週の日曜の午後からだった。
大切な祭りのご縁でつながる奥三河の古戸で、その日の朝からはじまる八幡神社大祭へ行き、昼前に終わって、その足で笠寺の七所神社へ向かう。
午前中は晴れていたのが、名古屋に着く頃には雨。
案の定、境内にはだれもいない。
早く着いて、これからかもと思いつつも嫌な予感が。
社務所で尋ねると、雨天中止だと知らされる。
わかるよ、わかる。
祭りってのはそういうもん。
向こうを出る前に確認すりゃあよかった、なんて思ってない。
春分夏至のスポット光だって、雨なら中止だもの。
太陽と地球が生み出す、その祭りの波動が出ている巨石群に居ることが重要。
それと同じだ。
わたしはこの地のカミさまと祭りの波動を響き合わせたいからここへ来たのだ。

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きっと、会長さんもこの事態にさぞかしがっかりしつつも、どこか町内で祭りをしているはずだと思い、土地勘のない周辺を探し歩くと、ちょうど囃子車をバラしてるところに遭遇し、無事合流することができた。
そして、中に入ってみんなで祭り囃子の神楽がはじまったのだ。
わたしもその渦中に居合わせるとは。
すごいすごい、この音の熱量。
普通なら祭り道中で移動しながらきくもんだけど、間近で笛や太鼓のこと、演奏のこと、熱田神楽についてまで、いろいろ知らない世界の話をたくさんきけた。
そして、ここに集う祭人たちの絆とか、神楽に対する思いとかこだわりとか。
会長さんの人柄のよさとか。
本当の祭人たちが集う素晴らしい現場。
これも、中止だったからこその展開であり、別の意味での素晴らしい祭りに立ち会うことができた。

能管と間尺笛と神楽笛
https://x.com/fuhgetsu/status/1711032644421800302

2023 七所神社例大祭熱田神楽笠寺保存会/笠寺猩々保存会
https://x.com/fuhgetsu/status/1711784754692153386


www.youtube.com

 

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まず、初めての体験として、下見がてら一週間前に大高の猩々を氷上姉子神社で見て、祭りの流れを知ることができた。
猩々がメインと思いきや、花車の傘鉾や松がメインとわかったつもりが、この日は神楽が重要だと思い知らされた。
笠寺が熱田神楽の発祥地であり、本場であることがとてもよくわかった。
その上で、猩々の果たす役割は、それはそれで重要であるということも。
この日は雨でも、おそらくこの七所神社に宮入した後、御旅所である丹八山へ渡行するときいていたので、解散したあと一人、その道を歩いてみた。
そして、目には見えない猩々と頭の中でぐるぐる巡る神楽の旋律を感じながら。

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それから、一週間前の大高の氷上姉子神社と同じ日、隣の本星崎の星宮社が本地祭りだったことをきいたので、祭り上げた土地のパワーを感じに、そのまま南野隕石と星信仰の巡礼へ。
丹八山から、南下して喚続神社、石神社を経由して、星宮社と上下知我麻神社へ。
こうして、わたしにとっての今年の猩々巡りを締めくくることができた気がします。

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古戸八幡神社大祭でミツハノメの御開帳

先週の日曜は、奥三河古戸八幡神社にて秋の大祭(八幡神社大祭)がありました。

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この集落の年中行事を2019年から4年かかって、これでほぼすべて見ることができました。
この祭りは地域住民が一番多くが集まるためか、コロナでの中止が一番厳しく、やっと解けたのです。
春の鹿射ち神事
夏の盆跳ね込み
秋の大祭。
冬の白山祭り花祭
これらが、四季折々に、地域の暮らしと、一生の通過儀礼と、人生にも深く関わる生活の一部として根づいてること。
それが、神社の神主も、お寺の住職も、特定の宗教の枠を超えて、宮人(みょうど)という組織が祭祀を司るなど、神仏習合の修験の時代さながらに、集落と母なる大地、土着のカミさまとの一体感に包まれている心地よさ。
中でもこの秋の大祭は、とりたてて派手な行事もなく珍しい祭りを行うわけでもない。
まずは中で神事があり、子供の祈祷があり、浦安の舞があり、最後に餅投げをして終わる。
ただそれだけといったらそれだけ。
だから、観光で訪れる客は一切なし。
他の祭りに比べたら平凡すぎて見るものも少ないかもしれないが、地域住民にとってはなくてはならない感謝の祭り。

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その年に生まれた子にご祈祷してもらったり。
巫女舞をするのも年齢が決まっており、年々過疎化と高齢化が進み、年によっては人数が足らないなど、すでに平成でこれが最後といわれた年の記念写真が掲げてある。
それくらいぎりぎりで、今年は二人。
元々は四人舞いらしいが、そうやって、なんとか今年はできた。
しかし、来年はわからないというのが実情のようだ。
では、コロナ禍の中止はどうだったかというと、たまたまその3年間も人数不足で、運良く今年に舞うことができたようです。
とても切ないようだけど、それくらい村では大切な祭り。
そして、一番盛り上がるし、大事なのが餅投げ。
たいていこの時期の祭りは、収穫された米を搗いて餅投げをしますが。
みなさん、楽しみなんですよね、これが。
で、祭りはここで一旦お開きとなりますが、場所を変え、直会(なおらい)の余興が一日中くり広げられるという、地域のつながりを深める一大イベント。

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で、わたしはというと、この祭りで最も注目している部分が、摂社も含めての御開帳。
八幡神社の拝殿奥にある本殿の姿も、初めて見れた。
それだけではありません。
上手から横並びに、稲荷大明神諏訪大明神、そして本殿をはさんで、熊野神社山住神社乳母明神とありますが。
すべての御扉が開かれるのが、年に一度、この日だけ。
実はそれを見るのが目的でした。
春の鹿射ち神事のときに種取りもする諏訪大明神ですが、そのとき秋祭りで御開帳して中の神像が見れるけど、それがミツハノメの女神(罔象女神)だときいていたから。
だけど、それ以来ずっと中止だったのです。
今回、もう一体あることもわかり、その神名が五帝龍王であるとか。
熊野神社にも二体の神像が対で祀られており、棟札に書かれた文字も暗くてよく読めないけど、写真におさめることができたので、今後調べたりするつもりです。

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それと、この祭りに参加する本当の理由は、地域の方との交流を深めるため。
ただ一冬の花祭にだけ来て、満足して帰るのではなく、その祭りに至る一年の暮らしがあり、その上の花祭の終わった翌日から次の花祭がはじまり、種が発芽して、成長し、冬至の頃に新たな花が咲くような、そんな地域共同体の集大成のような祭りが花祭だと思うので。
わたしもこの地域に溶け込んで、一緒に楽しみたいと、祭りの本質が知りたいと、切に願うのです。
次は、花祭の前に行われる白山祭りで、古戸白山に登ります。

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松巨嶋の海に堕ちた隕石と星信仰と七の聖数と赤い猩々

星宮社の祭神は、大和朝廷に最後まで抵抗した天香々背男こと天津甕星神。
それなのに、同じ関東で朝廷に反旗を翻した平将門の乱で、天皇の命で将門鎮圧のため熱田神宮の七柱(熱田大宮、八剣宮、日割宮、高倉宮、大福田宮、氷上宮、源田夫宮)を神輿に乗せ、星宮社で調伏(ちょうぶく)祈祷したという記録が残っている。
調伏とは、仏教用語の調和制伏の略で敵を教化して服従させる意味があり、時代が時代なのでもし従わなければ呪文によって呪い殺すということもあったでしょう。

その同じ伝説が、笠寺の七所神社にも残っている。
熱田七柱を神輿に乗せるところまでは同じで、調伏祈祷した場所が鳥居山山頂(現在の丹八山)であり、山頂に祀った熱田七柱を遷座した場所が七所神社と云われる。

 

星宮社と七所神社の位置関係は、ぴったり南北のライン上に並んでる。
それだけではない。
すべて七という聖数でくくられている。
星宮社の神紋は、七曜紋。
これは星神であるから、北斗七星と見ることもできる。
星宮社の社家が将門鎮圧で調伏祈祷すると七星が輝いたので、この地を星崎と呼ぶようになったという地名由来もあるくらい。
また、星宮社の御手洗池は、将門を調伏祈願する間、眉や目が分からないほど血に染まった者がその顔を洗ったことから七面池とも呼ばれたのだ。
星宮社は、史実として南野隕石が落ちた場所で、それゆえ星神を祀っているのが通説。
入江に明星が降って振動し、海上が鳴り響いたから、鳴海の地名となり、その星が堕ちた海岸を星崎と呼んだ。
しかし、七の数字が妙見信仰を物語ってる。

七星
七曜紋
七面池
熱田七柱
七所神社

熱田の南、笠寺の見晴台遺跡は2万年前の旧石器時代から室町時代までの連続した複合遺跡であり、弥生から古墳前期に最も栄えた環濠集落跡でもある。
熱田台地、八事台地、鳴海台地。
そのあいだの谷間を流れる、山崎川、天白川
その真ん中で取り囲まれるようにしてある笠寺台地は、かつて松巨嶋(まつこじま)という年魚市潟(あゆちがた)に浮かぶ島だった。
古くからの聖地であり、それゆえ複雑な歴史が入り混じりながら今日まで守られてきた歴史ある土地。
深い、深すぎる。
一筋縄ではいかない謎に満ちた奥深さが、この土地の魅力となっている。

 

そこにまた中国南部の伝説の猩々が伝わり、今でも七所神社で1000年も昔に熱田から鳥居山へ神輿渡御した名残で、七所神社の例祭では故地である鳥居山まで熱田七柱を乗せて神輿渡御する。
そのとき一緒に、あの猩々が練り歩くのだ。
その赤色には、血で染まる七面池の伝説や、将門の呪いの血を想起させると同時に、縄文の昔から魔除けのための色。
猩の漢字は、訓読みで“あかい”とも読む。
猩々とは、海に棲む妖精で人の言葉を話す酒好きで赤い顔の獣とされ、実際には古代中国領だったベトナムのオランウータンのことだとされている。
日本に伝わり、能の演目となったり、山車のからくりにもある。
しかしだ。
よく文字を見てほしい。
獣偏に星だよ。
またここにも、星が出てくる。
もういい加減にしてくれ、ワクワクしちゃうじゃないか。
いろんな点がつながって、歴史物語が見えてきそうだ。
星崎に堕ちた隕石と、星神の星宮社と、将門鎮圧の熱田七柱の七所神社が、七の聖数と星ですべてつながってる。
これは何かあるなと思わざるを得ない。
能やからくりにあると書いたけど、竹籠に和紙の張りぼてを着ぐるみにして被る巨大な猩々は日本広しといえどこの尾張だけ。
しかもエリアが限られた、松巨嶋と年魚市潟を取り囲むような一帯。
なぜなんだ。

猩々の発生時期も、江戸時代。
寛永9年(1632)に堕ちた南野隕石が、呼続神社のご神体になってて、星崎の地名由来になってる。
そうだ、このエリアこそ隕石の衝撃が伝わった範囲じゃないか。
猩々は隕石に乗って、この地に飛来したのかもしれない。
そして、その赤色も、バリンで叩くのも、魔を祓う所作。
もちろん、本当のことはわからないけど。
将門を呪い殺した場所でその御首を祀り、その御魂を慰め、癒すために祭りをやってるとも思えてくる。
もちろん、祭りとはどこも表向き明るくワイワイ陽のエネルギーに満ちていてそんなの関係ないと思うかもしれないが、江戸時代にはじまるあの賑やかな花火も疫病や飢饉を癒すための慰霊だし、死と生は密接であり、同義なので、祟りを恐れての慰霊だけでなく、新たに生まれ直すための鎮魂儀礼やタマシズメの祭りは多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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